「経営者としておかしい」なんて、ずけずけ言って
――工員さんたちに信頼されていらしたんですね。会社の上司にはハッキリとおっしゃるけど、部下には慕われた、と本書で語られています。なかなか言えないようなことを上司に言っていたようですね(笑)。
加古 上の人に、たてつくつもりも別になかったですけど。私の方が、若い時は短気だったんでしょうね……ふっふっふ。だからカチンときたら、「あなたはちょっと経営者としておかしい」なんて、ずけずけ言って(笑)。「いくらでも辞表を出します」って何度も言っていました(笑)。
――会社勤めと絵本作家の二足のわらじを履いていらした、そのことは絵本作家という仕事にとって良かったですか?
加古 会社に勤めたことは、これはもう絵本をつくる上でプラスになったと思います。まぁ、会社を通じて社会の裏表を勉強しようと思っていましたから。首を切られない限り勤め続けようと、一生懸命、会社の仕事も人一倍こなしていました。絵本を描くようになったのは、セツルの活動の中で偶然のきっかけがあったからなんですけど、休日にセツルのことをやっているというのは一切会社にはだまっていました。別に悪いことをしているつもりはなかったですけれども、時代が時代でね。
セツルにいろんな若い方が来ても、あまり長続きしなかったのは、結局、地域の人たちが我々を「アカ」だと言うんですよね。そういう目で見られる時代でしたから。タダで自分たちのことを助けてくれるなんていうのは何か下心があるはずだ、政治的な意図を持っているに違いない、と。アカ以外考えられないからアカだと言ってたんでしょうね。だからもう大変だったですよ、最初は。だけどそんなのいちいち、「アカではございません」なんて言い訳しながら、こちらは子どもさんの相手をするわけにはいかないですから。子どもたちにも最初は悪口をさかんに言われたし、替え歌まで歌われた。でも、一緒になって子どもと共に(セツルに対しての)悪口の歌を歌っているうちに、面白くなっちゃった(笑)。替え歌が実によく出来ていたんです(笑)。
子どもを観察すると、大人と同じように子どもも人間の感覚を持っていて、幼いながらもちゃんと生きているということが分かります。だから、3歳を過ぎたらもう、人間だとして接する。まだ経験も少なく世の中のことを知らないけれども、生きようとしている力、それだけは大人とは違う。その勢いがあるから、思いっきり駆け回るわけですねぇ。かけずりまわってぎゃあぎゃあわぁわぁ、どたばた……それはもう子どもの商売なんです。だから子どものことを「うるさい!」なんて言う大人が最近は多いそうですけれども、そりゃあ間違いだよと思います。子どもが思いっきり騒いで動くことがなくなったら、逆に問題ですね。
今の時代はあんまりわぁわぁ公園ででも騒いでいると、怒られるんだからねぇ。そりゃあ、ちょっとおかしいですよ。子どもに「生きるな」って言っているみたいなもんでね。僕に言わせると、そうやって自分の中の伸びていく筋肉とか、色んな能力を発散して、充分に使いこなして、くたびれたらバタンキューと寝る、というのが、子どもが育っていく過程なんですね。その充分使いこなしてくたびれるということがなかったら、例えば夜になっても目がランランとしちゃって、うとうとしているうちに朝になっちゃって、ごはんもあんまり食べられないなんてことになって、そりゃあ「おたく族」になるのは当然だろうと思うんです(笑)。