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飼っていた巨大トカゲが死んだあと自ら剥製にした文仁さま
「外で遊ぶときは、大体、ひとり、もしくは妹と一緒に虫を捕ったりヘビを捕まえたりして楽しんでいることが多かったです」と、文仁は江森に語っている。江森は間接的に聞いた文仁の次の言葉も紹介する。
動物に対して怖いとか、抵抗があるということは、小さいころからなかった。例えば、幼稚園のころウォーター・モニター(コモドドラゴンに次いで大きくなるトカゲ)という1.5メートルぐらい(来た当時)のオオトカゲを両親がおみやげに持って帰ってきてくれて、家族で飼っていたこともある。父はもちろん大丈夫。母もそれほどいやだということはなかったと思う。
このオオトカゲが死んだあと、文仁は侍従の目黒勝介(侍従の前は平成の天皇の研究助手を務めていた)と一緒に御所の魚類研究室で剥製をつくったという。文仁はオオトカゲの表皮の部分と、それにくっついている筋肉の間に、腐らないようにホルマリンの原液を注入したりした。文仁は「育った環境だと思う。父も魚類だけではなくて、生物全般にすごく興味がある」と語っている。
「ゴキブリをつまんで捨てることもあった」
プリンス岬のある浜名湖での思い出もある。文仁はこう話す。
小さいころ毎年、浜名湖へ、夏に、湖水浴をしに行っていました。朝に、家族で定置網を見に行くと、いろいろなお魚やカニが捕れます。ある時、その中に、ハモがいて、船のデッキの上をはっていました。口を開けており、鋭い歯がよく見えました。私の兄が火ばしをそのハモの口に入れて遊んでいた。それをまねすればよかったのに、私は自分の指を突っ込んで、そのままかまれてしまった。