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「金メダルを取ったところで……」

――周囲との人間関係、競技を続けることによるキャリアパスの限定……そうしたことが競技を辞めるきっかけだったんでしょうか?

新海 なんでしょう……。「いろんな世界を知りたい!」と思ったというのが正直な気持ちかな。水泳を突き詰めて頂点を目指していくっていうことは、やっぱりオリンピックでの金メダルがひとつの到達点だと思うんです。でも、「メダルを取ったところで……」って考えてしまう自分がいて……。

 北島康介さんみたいにオリンピックで2冠2連覇くらいの活躍をしていれば、水泳選手として個人を認知してもらえるじゃないですか。でも、オリンピックで金メダルを1個取ったところで、世間的にはほとんど知られない。その日のニュースにちょっと出てくるくらいで。それで終わっちゃうから「どうなんやろう……」と思うようになっていましたね。そこから、どんどん考えていくと「こんなに無理して水泳を続ける理由ってあるんかな……」って。

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競技引退後に初めて経験したアルバイト

――大学を中退された頃は水泳界で生き続けることの可能性に、ある種絶望して、競技を離れられたんですね。そのときは、これからの人生についてどのように考えられていたんでしょう?

新海 お話ししたようなことも含めて、プールで色々あって、気持ちが落ち込んでいて、一回実家に帰ったんです。そのときに、改めて「こんなに無理して続ける必要はないんやないかな」とか、「いろんな世界を見てみたいな」と思って。そこで「競技を辞める」って決断しました。

 そこから、いざやめると、直後はなんかめっちゃ病んで。今までは“泳ぐため”にご飯を食べて寝て……なんていうか、あらゆることが水泳のため、みたいな生活をしていたから、何もする気にならなかったんですよ。水泳がないから。

 でも、いつまでもポカンとはしていられないから、「動こう!」となって、アルバイトを始めたんです。レストランで。そこで、接客業をしているうちに、人に喜んでもらえるっていいな、人と接する仕事が楽しいなと思って、そこからブライダルに関心が湧いて、結果的にブライダル業界に就職しました。

 ただ、そんなタイミングでコロナ禍になっちゃったんですよね。

競技引退後、ウェディングプランナーとして仕事をしはじめた頃の新海氏 写真=『あたらしい海』(SOD publishing)より

――せっかく新しい人生のステップを踏み出したタイミングにもかかわらず、新型コロナウイルスが原因でやりたいことができないとなると、しんどいですね。

新海 最初は正社員で入らせてもらったんですけど、コロナの影響で給料を出し続けるのが難しくて、契約社員になって。あと、そもそもシフトの枠をもらえないんですよね。式があるときはよかったんですけど、コロナ禍でお客さんもいないし……。