家事評論家としての素地が出来上がるまで
――吉沢さんは15歳からずっと働いてこられましたが、逆に今、お嫁さんになって夫の稼ぎで暮らしたいっていう女の子も増えているようですね(笑)。
吉沢 増えてますよ。だって、働くのがイヤだって人、いっぱいいるもん。
――おそらく吉沢さんの同世代の人って、そういう女性が多かったんじゃないかと思うのですが。
吉沢 もちろん、それが当たり前だった。でも、私はそういうことに反発したんでしょうね。「結婚したら誰かの言うことを聞かなきゃいけない」とか、なんとなしに考えていたかもしれません。それで、私に色んな事を教えてくれた村上浪六さん(作家。大衆小説で人気を博す)の息子は、村上家の女中さんと結婚して、親に大反対された。でも結婚した二人はとても仲良く暮らしていたし、私はそこに行くのが楽しみだった。だから世の中が普通に言うことと実際はやっぱり違うんだなぁと思ってね。幸せな結婚っていうのは、お金に不自由のないところへ嫁いで暮らすってことだと思われていたでしょ。だけどそうじゃない、ああいうふうに二人で暮らすのは楽しいんだろうなぁなんて思ったりして、そういう事で色んなことを学ばせてもらいました。
――人が言うことを鵜呑みにするんじゃなくて、吉沢さんの場合はご自身の目で見たことをまずはキャッチすることを大事にされていた。
吉沢 自分が見たことだったら確かなんですよ。考える土台にしてもいいわけでね。村上さんは親にはああいうふうに勘当されたみたいだったけど、結局、これが幸せなんじゃないのなんて思えるようになって。
――吉沢さんの場合は、例えば結婚についても、人に相談せずに来られたんですか?
吉沢 (もちろんというように大きくうなずいて)誰も相談する人がいなかった。結婚なんて、する意志なかったんですよね(笑)。
――そうなんですか。
吉沢 でも、エスペラント語の勉強会で一緒になった彼と将来一緒に暮らすのもいいなぁなんて思っていたら、彼は戦争で亡くなっちゃいましたからね。で、別にわたし結婚する意志もなくて一生懸命仕事をやっていこうというふうに思っていた。だから、人って自分の思い通りにはならないけど、それで幸せになる人もいるっていう事を考えた方がいいのかも。不幸になることを考えたってしょうがないもんね(笑)。
――その基本の考え方が、前向きでいらっしゃる原動力ではないかとお話を聞いていて思います。
吉沢 みなさんに「前向き」っていわれて初めて、「あぁ、そうなのか」と自分では思うんですよ。
――あぁ、自然にやってこられたわけですものね。
吉沢 自然にそうやってきたけれども、またそれでなきゃ生きられなかったんでしょうね、きっと。後ろ向きっていうのかしら、周囲のことばっかり気にして、自分は不幸だとかなんとかって考えていたら、生きられないでしょう。
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吉沢久子(よしざわ・ひさこ)
1918年東京都生まれ。生活評論家、エッセイスト。文化学院卒。15歳から仕事を始めて、事務員・速記者・秘書などを経て、文芸評論家・古谷綱武氏と結婚。家庭生活を支えながら、日々の生活で培われる知恵や技を工夫・研究し、幅広く現代の生活に提案し続ける。著書に、『吉沢久子、27歳の空襲日記』『人間、最後はひとり。』『自分のままで暮らす』などエッセイ多数。
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