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 記者が「酸素の心配はなかったのか?」と尋ねると、「日本での私への扱いと人質システムにあまりにも憤慨していたので、ちゃんと空気が入ってくるかなどと心配する余裕はありませんでした。これが私が発言できる、弁護できる最後のチャンスだという強い執念がありました」と語り、多少寒さを感じても「私が体験したことにくらべれば何も怖くなかった」という。

「私は『ブラボー』と言われてしかるべきなのに…」

 紙面ではひとしきり日本の司法と拘置への批判。そのあと、フランス政府への恨み節になっている。なかでもブリューノ・ルメール経済財務大臣を名指しで非難した。

 というのも、ゴーン被告もフランスのエリート校を出ているのだが、ルメール大臣やマクロン大統領などがいったENA(国立行政学院)ではない。そして、政治家と結びついてもいないから見捨てられたのだという。

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「私は、自分の才能と成績のおかげでここまできました。『ブラボー、私達の子供も同じようになってほしい』と言われてしかるべきなのに」と不満を隠さない。

福岡県の自治体トップらと話す2003年7月の様子 ©共同通信社

 そして、自分が世界一にしたルノーがみじめな業績の脆い小さな会社になってしまった、ルノーは日産への影響力を失ってしまったし、日産・三菱との同盟はもうまったく機能していないと嘆く。

フランスで“ゴーンの言葉”はどう受け止められたのか

 ゴーン被告の著書は「真実の時」という題名だが、昨年12月に出版された日本語版の題名は「世界で勝てない日本企業 壊れた同盟」となっている。日本ではまだゴーン被告にはカリスマ経営者のイメージが残っているようだ。

 フランスではどうなのか。

 ゴーン被告をインタビューしたペロリー記者は、「ルノーの元CEOは非常によく現れる幽霊である。彼の名前はルノーで定期的に出てくる。経済省の廊下でも出てくる」と書いている。

 ただし、ゴーン被告の経営を模範にするのではなく「現在の困難を説明したり言い訳したりするとき」である。