日産自動車の元会長カルロス・ゴーン被告をめぐる事件。3月3日、共犯に問われた元代表取締役グレッグ・ケリー被告に、懲役6カ月執行猶予3年の判決が下された。法人としての日産も、求刑通りの罰金2億円となっている。
世界的自動車企業・日産を舞台にした巨額の役員報酬をめぐる事件は、中心人物のゴーン被告不在のまま、区切りを迎えた格好だ。
そんなゴーン被告について、フランスの「パリジャン」紙が13日付紙面でロングインタビューを掲載した。著書が出版された2020年11月以来、1年3カ月ぶりの発言である。
久しぶりに現れたゴーン…何を語った?
「パリジャン」の電子版では、彼が教鞭をとっているカスリク聖霊大学(USEK)で日本脱出の時の模様を語る部分についてのビデオも公開された。
ゴーン被告は今までの数々の取材で、逃亡計画は数週間前からたてられ、すべて自分で決めたと言っていたが、ここでも繰り返した。ただし、逃亡を助けたとして日本で実刑判決を受けたテーラー親子については回答を拒否している。彼らをかばっているのか、他にも仲間がいるのか本当のところはまだわからない。
逃亡手段については、船も考えたが、到着地に着くまでの間に時間がかかりすぎ、日本の当局が介入できるので、飛行機にしたという。
「箱と乗務員というオプションがありました。結局、私は箱を選択し、その詳細も自分できめました。
(計画の)すべては、荷物がかならずX線撮影されるわけでもないという、大阪の関西空港でおこなった観察結果から始まりました。実際、私が通過したときX線を通しませんでした。もしX線で見られていたら終わりでした」
ゴーン被告はさらに、箱の中はまったくの暗闇だった。少しでも気配を悟られたらおしまいだ。じっとうずくまってただただ耳を澄ませていた。飛行機のエンジンの音で滑走路にいるのだとわかった。トランクが傾き、貨物室に入った。「計画の最初の部分は成功した」と仲間に声をかけられた……と続ける。