「真実に迫る姿勢がNHKはこの程度なのか」
「ファクトの確認、真実に迫る姿勢がNHKはこの程度なのか、これが公共メディアなのかと、そのダメージは非常に大きい。そういう目で視聴者は見ています」
「最後にお願いです。謙虚で真摯な姿勢で取材対象に向き合う、ジャーナリズムの良心を忘れない。このことを徹底してもらいたい」
ここで正籬副会長が怒ったのは、「報道のイロハのイである事実確認もしないとは、ジャーナリズムをなめているのか!」という趣旨だろう。しごくもっともだが、説明会に参加したある人物は打ち明ける。
「正籬さんのおっしゃることもわかりますけど、より重大なのは、字幕の内容が正しいかどうかにかかわらず、こんな字幕を出したら重大な問題になるという感覚が現場に全く欠けていたということだと思います」
字幕は、「五輪反対デモの参加者がお金をもらって動員されていた」ということを示す内容だ。その内容はもちろん間違っていたのだが、仮に正しいとしても、それは別の意味で大きな問題になる。反対デモが金の力で動かされているとしたら、大変なスキャンダルだ。そんな情報があるなら「すぐに確認してニュースにしろ!」となるのが、まっとうな報道感覚だ。
「自分が制作している番組への思い入れもないんじゃないか」
ところがこの番組の担当者には、そんな意識がまるでなかった。「五輪反対デモが金で動員されている」という話が持つ重大性への認識がなかった。逆に、それがデマだった時の責任の重大性にも思いが及ばなかった。だからろくに事実確認もせずに出している。自分が出そうとしている字幕の重大性がわかっていれば、必死に事実確認をしたはずだ。そうすれば「事実ではない」と気づくから、あの字幕が出ることはなかった。別の出席者は語る。
「私はむしろ『五輪反対はけしからん』という信念で確信犯的にあの字幕を出した方が、まだ救いがあると思っていました。もちろんそんな信念は間違っていますが、間違っているなりに“動機”としては理解できます。でも今回のケースは……信念も何もない。自分が制作している番組への思い入れもないんじゃないか。ただ上に言われるままに惰性で番組を作り、取材相手が『そう言った』という思い込みで字幕を出す。その担当者の“空虚さ”に、どうしようもない“冷たさ”を感じるんです。番組作りって、そんなもんじゃないのになぁ。恐るべき“空虚さ”です」