ウクライナへの全面侵攻によって、国際社会から非難を浴びているロシアのプーチン大統領。そんな彼の“宿敵”だったのが、ドイツのアンゲラ・メルケル元首相である。
ここでは、2016年に発売された『世界最強の女帝 メルケルの謎』(文春新書)から一部を抜粋して再構成し、プーチン大統領とメルケル元首相の“因縁エピソード”を紹介する。(全2回の1回目/後編に続く)
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プーチンとの共通項
メルケルはロシア大統領プーチンに対して、良い感情を抱いていない。
プーチンはメルケルの2歳年上だ。2人は同世代である上に、「ベルリンの壁」が崩壊した1989年、東ドイツであの激動を経験した共通項がある。メルケルがロシア語を話せば、プーチンも勝るとも劣らないドイツ語を操る。
あの当時、プーチンはソ連国家保安委員会(KGB)のドレスデン支部にナンバー2の少佐として駐在していた。ドレスデンでも東ドイツの群衆は情報機関を荒らし、KGB支部にも乱入してきた。プーチンは拳銃を抜いて群衆を制する一幕もあったそうだ。
後にプーチンはソ連邦崩壊を「20世紀最大の地政学的大惨事」と嘆息することになるが、ソ連解体の導火線となった「ベルリンの壁」崩壊は、ロシアの最高指導者となるその後のプーチンを形作る屈辱の原体験となった。
東ドイツにKGB将校として駐在し、情報活動に当たっていたプーチンを、メルケルが好ましく思うはずはなかった。
対照的にメルケルの前任者シュレーダーは、プーチンの親友になり、「非の打ち所のない民主主義者」と呼んだりした。ウクライナ危機の真只中である2014年4月、シュレーダーは自分の70歳の誕生日パーティーをわざわざサンクトペテルブルクで開き、プーチンを招待したことで顰蹙を買った。
何よりもシュレーダーは、首相退任後、ロシアの天然ガスをバルト海経由でドイツに運ぶパイプライン「ノルドストリーム」の運営会社の役員に再就職し、世界を呆れさせた。ドイツという大国の指導者が外国の国策会社へ天下りするという、ここまで露骨な事例はなかなか目にすることはできない。