『足が痛い』と泣きだした
瑠璃ちゃんは2016年12月30日、栃木県内の病院で生まれた。涼子さんが振り返る。
「体重は2830グラム。名前は12月の誕生石『ラピスラズリ』の和名が『瑠璃』だったので、『唯一無二の自分だけの輝きをもって生きてほしい』という願いをこめてつけました。生まれた頃から沢山ミルクを飲むし、よく寝てくれて夜泣きもほとんどせず、手がかからない娘でした。初めて話した言葉は『パパ、パパ、パパ……』で『ママ』じゃなかった(笑)。私も当時は働いていたから保育園には0歳のときから通っていて、トラブルとかも特になく、楽しく過ごしていました」
そんな瑠璃ちゃんに病気が発覚したのは、3歳の夏のことだった。涼子さんはその日のことを鮮明に覚えていた。
「家の庭にプールをだして遊んでいたときに、瑠璃が『足が痛い』と泣きだしたんです。最初は遊びすぎか、成長痛だと思ったのですが、同時に熱が37~38度くらいでました。熱も足の痛みも2~3日でひくのですが、1~2日経つとまた『痛い、痛い』って足を引きずりだして泣き出す日が続きました。
『嘘でしょ』『テレビじゃないんだから』
最初は街の小児科に行ったのですが『原因がわからない』と言われました。整形外科も対応は同じで、全部で8箇所ぐらいの病院を回ったのですが原因はつきとめられませんでした。それで、不安だったのでこちらから血液検査をお願いしたんです。結果が分かるとすぐに先生から『白血球の数がおかしい』『このまま紹介状を書くから午前中のうちに大きい病院に行って』と言われ、紹介先の大学病院で改めて精密検査を受けました」
精密検査の結果、瑠璃ちゃんは「急性骨髄性白血病」と診断された。その言葉を聞いて、夫婦は膝から崩れ落ちた。
「大学病院には夫が連れて行ったのですが、結果が出るまで何度も何度も病気の症状を携帯で検索したそうです。その度に『白血病の症状だ』という書き込みが出てきて、気が気じゃなかったといいます。
私は検査結果を夫から聞かされ、まさに青天の霹靂でした。『嘘でしょ』『テレビじゃないんだから』って……。自分の娘のこととして捉えるまでに時間がかかりました。しかも娘は骨髄性白血病のなかでも『予後不良因子陽性』という治りにくいタイプだと判明して、医師には『5年生存率は12%前後』と言われました」(同前)
瑠璃ちゃんはすぐに入院。この日から大田和家の白血病との闘いがはじまった。