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《ウクライナの今》32歳カメラマンはこうして“衛生兵”になった 志願者の40%は女性

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 ロシアによるウクライナ侵攻が始まってから2週間。攻撃対象はウクライナ全土に拡大され、住宅街の破壊が相次いでいる。一方、志願兵の数は増加しており、国外から1万人を超える応募があったという。

 

 そんな中、自らの意思で“衛生兵”として医療活動に携わる人々がいる。キエフ在住のフリーカメラマン、ミキータ・ザビリンスキーさん(Mykyta Zavilinskyi、32歳)はその一人だ。祖国のために戦うザビリンスキーさんに話を聞いた。

カメラマンのミキータ・ザビリンスキーさん

「衛生兵」登録2週間後に戦争が起こった

――現在、どのような活動をしているのでしょうか。

 私は戦闘で負傷した人の手当てを行う「ホスピタリアーズ」という民間組織で活動する衛生兵です。現在いるのはキエフ市街地ですが、この街だけでも100人以上が従事しています。「ホスピタリアーズ」は小さなチームに分かれており、ウクライナ軍、国家警察、国土防衛隊の医療サポートをするために派遣されます。軍や警察の公式部隊ではありませんが、同じ指示系統下で連携して活動しています。私の所属するチームは、国家警察の支援をしていたので警察に付随する組織として動いています。最前線で緊急手当てをするのが仕事で、軍や警察の負傷者はもちろん市民などを安全な地帯まで運び、病院に搬送することも任務の一環です。

――なぜ「ホスピタリアーズ」の一員になったのですか。

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 2015年から、「ホスピタリアーズ」に登録する手続きを始めました。私の職業はフリーカメラマンです。我々は2014年のロシアによるクリミア併合を“第一波”と呼んでいます。その際、私は従軍カメラマンとしてドンバス地方などの戦地に行きました。実はその時、仲の良い友人のカメラマンが脚を負傷し、亡くなってしまったのです。腕の良い素晴らしいカメラマンでした。彼には娘がいた。しかし、当時、私は彼が戦死した事実を伝える気持ちになれず、5年後にすべてを話して謝りました。自分は極限の状態に追い込まれた際、客観的な状況を伝えることができない人間なのだと悟り、それ以降、戦場で撮影することを止めたのです。目の前の人を助けるべきだと思い、国土を守っている人たちの医療サポートをしようと決めました。

 2018年頃から「戦術的第一線救護(TCCC)」という負傷者ケアについて、民間の施設で学び始めました。我々は2月24日に始まった今回の侵攻を“第二波”と呼んでいるのですが、その2週間前に「衛生兵」としての登録が完了しました。最悪の場合に備えて動こうとは常に思っていましたが、まさかすぐにこんなことになるとは……。東京や京都に住んでいる人が戦争になるとは思いもしなかったのと同様の感覚だと思います。

 2月24日未明に空爆が始まった数時間後に、キエフにある「ホスピタリアーズ」の本部に駆け付けました。身を守るボディアーマーや装備などはすでに持っていたのですが、医薬品など必要な資材を調達しました。「ホスピタリアーズ」は独自の基金を持っており、医療資材を備蓄しているのです。