ロシアがウクライナへの軍事侵攻に踏み切ってから早7日。戦火はウクライナ全土に拡大し、首都キエフの近郊では激しい戦闘が行われている。そんな中、28日にはベラルーシで両国代表団による初の停戦交渉が行われた。2回目の交渉も行われる予定だという。

 

 目まぐるしく変わる情勢。ウクライナは今どうなっているのか。

 

週刊文春」編集部は、2月28日夜、現地のウクライナ人にリモートでインタビューを実施。ジャーナリスト兼コピーライターのオリガ・ダツューク(Olga Datsiuk)さん(32)に話を聞いた。普段は首都キエフに住んでいるが、現在はポーランドとの国境近く、西部の街・リヴィウに避難しているという。現地の様子をオリガさんが寄せた写真と動画と共にレポートする。

オリガ・ダツュークさん

――オリガさんは今どこにいますか。

 2日前(2月26日)に夫と双子の姉妹と一緒にキエフからリヴィウの友人の家に来ました。現在、一つの部屋に6人で住んでいます。それまでは、夫、母、双子の姉妹、そして飼い猫とキエフで住んでいました。みんな西側の方へと避難してきています。母は他の人の車で先に移動していたので、今は別の街にいます。後で合流できればと思っています。

一緒に避難している家族と
猫の「パターソン」も一緒に避難

 リヴィウまでは鉄道で移動してきたのですが、駅は非常に混乱していました。私たちは2本目の電車を待ってようやくキエフから出ることができました。現在、電車はすべて無料で誰でも乗ることができます。ただ、駅には人が大量に押し寄せていて、車両には定員の4倍もの人々が乗っていました。警察官が空に向けて発砲しないと収拾がつかないほどでした。

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 リヴィウ、イヴァノフランコフスク、リヴネ、チェルノフツィと行先はいくつか選択できました。これらはすべてウクライナ西部の街です。初めに国境に近い東側の人たちが避難し始め、それから中心部の人たちが逃げ始めました。

An elephant at sunset

 

――26日になってからキエフを出る判断をした理由は?

 ちょうどその頃から空襲の数が増してきて、そのうち市街戦になるのではないかと思い始めました。私の父は出張でスイスにいて、母は先にキエフを出ていました。

リヴィウにて2日ぶりの入浴。サイレンが鳴り、一時退避

 ロシア軍が近づく中、私だけキエフにいることを両親が心配していたので出ることを決意しました。今はキエフを出たことを少し後悔しています。インターネットを通じて情報を発信することで離れていても多少は貢献ができるかもしれません。ですが、キエフを守るために日々多くの人が志願兵になっています。私だけ戦わずに逃げてしまったことを負い目に思っています。