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1日が1年、4日が4年のように長く感じられる

――ロシア軍の侵攻はどのようにして知りましたか。

 24日の午前5時に大きな爆発音が遠くで聞こえました。飛び起きてチャットなどで友人と「今の音を聞いたか」と連絡を取りました。それで、ロシア軍の侵攻が始まったことを知ったのです。ロシアは長期にわたってウクライナがNATOに入らないよう脅迫していました。ロシア軍がウクライナとの国境近くに集結していることはかなり前から分かっていたので、常に脅威は感じていました。

――自宅の近くにミサイルなどは飛んできましたか?

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 キエフは川を挟んで東側と西側に分かれているのですが、私は東側に住んでいました。爆発音が聞こえたのは西側。少し離れたところではありましたが、ミサイルが落ちて爆発が起きたようでした。私がキエフにいたときには、まだロシア軍は侵入していませんでした。戦車なども見かけていません。聞こえていたのは何かが飛んでくる音と爆発音だけでした。戦争が始まってから4日が経ちますが、目まぐるしく状況が変わっていて1日が1年、4日が4年のように長く感じられます。

――キエフにいる時は、何をしていましたか。

 メッセンジャーアプリなどを使って情報収集をしました。テレビも点けて、できる限り多くの情報が得られるようにしていました。一時的な軍事衝突であることを祈りながら、すぐに避難のために荷物のパッキングを始めました。それからアパートの地下にあるシェルターに逃げる準備を始めましたが、その前に食料や薬が必要になることに気付いて近くのスーパーマーケットに買い物に行きました。スーパーでは海老を買ったのですが、キエフの自宅に置いてきたので今頃多分腐っています(笑)。シェルターに滞在することを念頭に入れて、保存の利く肉や野菜の缶やビン詰をたくさん買いました。棚にあるものを全部買うような感じです。薬や医療品も買いました。

キエフのアパート地下にあるシェルター内部の様子
 
 

 サイレンが鳴っている間はシェルターに入るのですが、通常はシェルターとして使うことは想定されていないただの地下室です。行ってみると鍵を持っている人の連絡先が書いた紙がドアに貼ってあり、その人に電話をかけてようやく開きました。内部は整っているわけではなく、ゴミが置いてあったり、ほぼ物置のようになっていました。そのため、入る前にみんなで大掃除をしなければなりませんでした。安全なので基本的にはシェルターにいましたが、シェルター内はとても寒いので着るものを取りに部屋に戻るなどはしていました。

 

――その間、ライフラインは?

 サイレンは鳴り響き、お店もほとんど閉まっていましたがライフラインは正常でした。電気もガスも普段通り使えていて、戦争が起こっているという現実味がありませんでした。今では市街地で戦闘が始まっていますが、当時はまだ戦いは起きていませんでした。ATMに大行列ができているとか、電車になかなか乗れないという点では違和感を感じていましたが、日常とそこまで大きく乖離していませんでした。

――キエフまで侵攻すると想定していましたか。

 8年前にクリミアが併合されてから、多くのウクライナ人はロシアが侵攻してくることを覚悟していました。すでにプーチンによって独立が承認されましたが、直前ではドンバス地方(ルガンスク人民共和国、ドネツク人民共和国)も不安定でした。そのような環境もあり、近年ウクライナ人はかつてないほどロシアの政治などを調べていました。ですが、それでもキエフまで来るとは誰も予想しなかったと思います。なぜなら、それはロシアにとって自殺行為になるから。国際社会で孤立し、世界中から制裁がかかって後には戻れない状態になることは明白です。なので、今回キエフを目指していることには本当に驚かされました。