移籍の本当の目的は「政界進出」だった?
キエフ近郊で生まれ育ったシェフチェンコは、チェルノブイリ原発事故を9歳のときに経験した。放射能汚染を避けるため家族とともに疎開を余儀なくされた。ウクライナ内政に強い影響を与えるロシアの姿が子供心に刻み込まれた。
06年夏当時、30歳目前だったシェフチェンコは現役引退後の政治家転向を考え始めていた。
母国ウクライナの政情安定のためにはロシアとの関係構築が最重要課題の1つであり、そのためのコネ作りは不可欠だった。
ロシア政界と強いパイプを持つアブラモビッチはサッカー狂であり、欧州制覇の夢を実現するため世界中から一流選手を買い漁っていた。彼からの誘いはシェフチェンコにとってまたとないチャンスだった。
オファーを受けたシェフチェンコは、イタリア首相として第二次政権期にあったベルルスコーニと密談し、「(サッカー以外の)いろいろなことを話し合った」と明かしている。
つまり、謎の移籍劇は、アブラモビッチを介したロシア政界との人脈構築が真の目的だったと考えられるのだ。
35歳で現役引退。同国最高会議選挙に出馬
しかし、「ウクライナの矢」がプレミアリーグを射抜くことはなかった。新天地への適応と怪我に苦しみ、2シーズンでわずか9得点に終わった。オーナーであるアブラモビッチとの関係も深まることはなかった。
シェフチェンコは08年夏から1年だけ、ミランへレンタルで戻ったが、かつての輝きは戻らなかった。母国の古巣ディナモ・キエフでキャリア晩年を過ごした後、12年7月に35歳で現役引退を発表。ウクライナ連盟からの代表監督オファーを蹴り、政界に身を投じた。
シェフチェンコは旧ウクライナ社会民主党の流れを組む政党へ合流し、12年秋の同国最高会議選挙に出馬した。しかし、新興の党は惨敗し、シェフチェンコ当人もあえなく落選している。
ちなみにこのときの選挙で国会議員に当選し、政治家として足場を固めたのが元WBC/WBOボクシング世界ヘビー級王者のビタリ・クリチコ(50歳)だ。「鉄拳博士」の異名をもつクリチコは14年からキエフ市長へ転身、現在ロシア軍と徹底抗戦中だ。旧ソ連の国々では元プロスポーツ選手の政治家転向は珍しくない。