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シェフチェンコのキャリアに残された「謎」

 本場イタリアではゴールと勝敗の責任を負うフォワードへ批評の目は厳しい。得点できなければ試合翌日のスポーツ紙で辛口採点とともに手厳しく批判されるのが常だ。

「腹を立てたりムクれて無視してきたりする選手は多いけれど、シェフチェンコだけは例外。真面目で誠実そのものの彼は出来の悪い試合の後でもきちんと丁寧に取材に応えてくれた。黙って練習に集中して次の試合でゴールを決めてニッコリするものだから誰もが彼のファンになった。彼こそ一流プレーヤーの鑑」(現地紙ミラン番記者)

 だが、栄光に満ちたシェフチェンコのキャリアには1つの謎がある。06年夏の英国プレミアリーグ、チェルシーへの突然の移籍だ。

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 それは、あまりに唐突だった。

チェルシー移籍後は満足な活躍はできず ©文藝春秋

 当時「黄金時代」にあったミランは欧州最強クラブの1つで、全盛期のシェフチェンコはエース待遇を受けていた。長男・ジョルダン誕生時には、イタリア共和国首相(当時)のオーナー会長シルビオ・ベルルスコーニが後見人を引き受けるほど絶大な寵愛を受け、チームメイトや監督との関係も良好。

 ミランを離れる理由はどこにも見当たらなかった。

シェフチェンコ獲得を熱望した人物は…

 退団記者会見では「(当時1歳半の)長男の英語教育のため」と釈明したが、とってつけたような理由を信じた現地記者は少なかった。チェルシーの本拠地ロンドン移住を望んだのはポーランド系米国人の妻ではないか、という追及はシェフチェンコ本人が否定したものの、移籍交渉先がチェルシーに絞られていた点は不可解なまま。当時の彼なら欧州中の強豪クラブから引く手数多だったはずなのだ。

 シェフチェンコ獲得を熱望したのは、03年にチェルシーを買収したロシアの石油王、ロマン・アブラモビッチだった。

プーチンと近いとされるオリガルヒの1人でもある石油王・アブラモビッチ ©AFLO

 ソ連崩壊後の混乱した自由経済主義下で台頭した彼は、今回のウクライナ侵攻を受けて激怒する西側諸国が施す経済制裁の標的となった「オリガルヒ(寡頭資本家)」の1人だ。アブラモビッチ自ら政治活動に没頭していた時期もあり、プーチン政権にも非常に近い立場にある。