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《ウクライナの英雄》もし“あの”シェフチェンコが政治家になっていたら…? 16年前の「謎の移籍」で読み解く“オリガルヒとの数奇な縁”

2022/03/15

genre : ニュース, 社会

「サン・シーロにいる皆さん、平和のために声を上げてください。ウクライナ国民は平和を望んでいます」

 2月24日に始まったウクライナ侵攻が激しさを増し、首都キエフへロシア軍が迫りつつあった今月1日、イタリア・ミラノのスタジアム「ジュゼッペ・メアッツァ」(通称サン・シーロ)では、巨大スクリーンに映し出されたアンドリー・シェフチェンコ(45歳)がビデオメッセージで停戦を訴えかけた。

欧州サッカー界を席巻した「名ストライカー」

「平和に国境はありません。我々を分け隔てるものより、結びつけるものの方が強くあらねばならないのです。この戦争をストップさせましょう」

名門ミランのエースFWとして00年代の欧州サッカー界で活躍したシェフチェンコ ©getty

 当夜はACミランとインテル両強豪が対戦した国内カップ戦準決勝の注目舞台。ビデオメッセージは悲壮感に満ちていたが、約5万人の観衆は終了後大きな拍手を送った。

 シェフチェンコは名門ミランのエースFWとして、00年代の欧州サッカー界を席巻した名ストライカーだ。類まれなスピードとテクニック、得点センスで「ウクライナの矢」の異名をとった。

 イタリア1部・セリエA得点王2回(00年、04年)とUEFAチャンピオンズリーグ得点王2回(99年、06年)に加え、04年には欧州最優秀選手の証である「バロンドール」を受賞するなど数々のタイトルを獲得。欧州サッカーの辺境国だったウクライナの名を世界中に知らしめた。

ドイツW杯でウクライナは過去最高のベスト8まで進出 ©文藝春秋

06年ドイツW杯には主将兼エースとして出場
 

 ウクライナ代表としても通算111試合に出場、歴代最多48得点を上げた。06年ドイツW杯では主将兼エースとして母国をW杯初出場に導いた。

 現役引退後、16年から母国代表監督に就任。昨年開催された欧州選手権「EURO2020」ではウクライナ代表史上初の大会ベスト8に導いた。

 その後、昨秋に監督就任したセリエAの古豪ジェノアでは成績がふるわず、わずか70日間の短命に終わったが、解任に同情論が集まり人気は今も健在。シェフチェンコは時代を越えたスーパースターなのだ。