球界再編を巡るスポーツ各紙の報道戦争は激しさを増していた。野間口の進路については3紙の「同着」となった。私には一発かましたいという焦りがあった。
何年経っても消えない後悔
だが、「今は書かないでくれ」という言葉は重い。野村からそんなことを言われたのは、初めてだ。取材対象の本音を引き出せるのも、日頃の信頼関係があってこそ。今後も担当は続く。「書き逃げ」は許されない。
でも、そもそも「今」っていつまでなんだろ……。
悩みに悩んだ。結論から書くと、私は一歩踏み出せなかった。嫌われる勇気がなかったのだ。
書けば良かった。あの日から何年経っても、ずっと後悔は消えなかった。
ならば直撃するしかない。もう一方の当事者に。2016年1月、インタビューが実現した。
「2時間くらい、話したのかな。球界の中ではかなりの理論派というか。アタマ、いいですよね。『この人、結構年齢いっているけど、面白いなあ』と」
スカイプでの取材。パソコンの画面越しに、堀江は「密会の夜」の真相を語ってくれた。
堀江との問答は想像以上にエキサイティングだった。予定の20分を大きく上回り、40分にわたって球界新規参入を巡る喧噪の日々を回想してくれた。
極秘会談の仕掛け人
証言をまとめると、密会の真相はこうだ。
場所は赤坂プリンスホテルのスイートルーム。初対面だったが、意外と話は弾んだ。勝てるチームの作り方から、地域密着の重要性に至るまで、話は尽きなかった。
極秘会談はなぜ実現したのか。
仕掛人は妻の沙知代だったという。
堀江は言った。
「独自にものすごいアプローチがありましたから。『とにかく旦那に会ってくれ』って。後はシダックスの会長からも来ていました。『野村さんをまたプロの監督に返り咲かせてくれ』と」
私は取材ノートを見返した。確かに9月14日、テレビ東京のビジネス番組で、志太と堀江は初接触している。野村の望むプロ参入に消極的だった志太が、「ライブドア・野村監督」を堀江に売り込んだとすれば、時期的にも合点がいく。
盟友に対する志太なりの精一杯の配慮だったのだろう。