「今は書かないでくれよ」と言った意味
会談に同席していた、ライブドアベースボール取締役だった中野正幾は当時26歳だった。私の取材に、野村の印象は鮮烈だったと話してくれた。
「経営者として戦略思考で組み立て、チームを作っていける方だなと思いました。でもその場で野村さんは一切、『監督になりたい』と言わないんです」「次の日、携帯に沙知代さんから電話がかかってきて。『主人が昨日、楽しかったみたいです。主人、どうしても監督をやりたいって。本当にありがとうございました』と、26歳の小坊主にですよ。沙知代さんは義理人情に厚い方でした」
ライブドア内では「初年度から本気で勝ちに行くなら、指揮官は野村」という意見も強かったが、正式オファーは見送られた。親しみやすさが重視され、監督は阪神の駐米スカウト、トーマス・オマリーで一本化された。堀江はこう続けた。
「フレッシュなイメージでいきたかったから、野村さんのイメージではないと。でも野村さんは、やる気マンマンだったなあ」
今なら少しだけ分かる。
あの時、野村が「今は書かないでくれよ」と言った意味が。
IT企業同士の新規参入バトルを制したのは
阪神監督としては3年連続最下位。妻のスキャンダルもあり、志半ばでプロ野球界を追われた。
もう一度、プロの監督で勝負したい。野村と沙知代はそのチャンスをうかがっていた。そこで起きた球界再編騒動。
ライブドアか、あるいは……。今は見極める時期。世間に「ライブドア・野村監督」のイメージが先行してしまうのは、決して得策ではない―。
そう、野村はしたたかな「戦略家」でもあったのだ。
IT企業同士の新規参入バトル。制したのは「後出し」で名乗りを挙げた楽天だった。
たまにあの日の眼光を思い出す。俺は絶対にまた、プロのユニホームを着るんだ。このままじゃ終われるか―。
瞳にはそんな執念が宿っていたな、と。
書かなかった後悔は一生、消えそうにない。
【前編を読む】〈落合博満との絆〉シダックス監督時代の野村克也に届いたプロ球団からの1本の電話…中日ドラゴンズ“監督候補説”の意外な真相