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友達や彼女が病院の駐車場で回復を祈ったが…

「現場にいた4人を含む15人ほどの夕輝の友達や、彼女が病院の駐車場に集まり、来る日も来る日も体調の回復を祈ってくれました。私が医師から『助からない』と言われたことも知っているのに、『絶対助かる』と神社でお守りを買ってきてくれたりして……。

 みんな『手につかないっすよ』と仕事を休んで集まり、応援のメッセージをレコーダーで録って看護師さんに枕元で流してもらいました。気持ちはとてもありがたかったけど、申し訳なくて……。『夕輝は元気になって帰るから、皆帰ってくれ』と解散してもらいました」

事件現場の最寄り駅であるJR土浦駅 ©文藝春秋 撮影・上田康太郎

 だが、願いも虚しく浜田さんは19日、帰らぬ人となる。21年の短すぎる生涯だった。通夜には約300人の友人らが集まったという。

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「夕輝は勉強が苦手でヤンチャもしていましたが、学校では人気者。親バカかもしれませんが、かなりの男前で性格も優しいヤツでした。女の子からもよくモテたようです。2~3年前には夜帰ってこないこともありましたが、最近はすっかり落ち着いて2日に1回は夕飯を一緒に食べていました。責任感が芽生え始めたというのかな……。頼もしさが生まれてきた矢先だったんです」

 浜田さんは友達と休日に趣味のラップに熱中する一方、昼間はしっかりと大工の仕事に勤しんでいたようだ。残された写真には、Aさんと一緒に仕事で汗を流し、美味しそうに弁当を食べようとする姿もあった。こうした浜田さんの努力は、いつか「父と一緒に仕事をする」という目標のためだった。

事件があった資材置き場周辺 ©文藝春秋 撮影・上田康太郎

夕輝さんは父に「将来は一緒に仕事をやろうよ」と…

「私は自営で瓦屋をしているのですが、東日本大震災を機に忙しくなりましてね。夕輝は小学5年生ぐらいから休日や夏休み、泥を練ったり、モノを運んでくれたりといつも私の仕事を手伝ってくれました。高校生の頃は美容師を目指していたのですが、途中でギブアップし、一緒に瓦の仕事をやるようになりました。いつかは継がせるつもりでしたが、夕輝は『身内で甘えるのは良くない』『内装の仕事も覚えたい』と、3年前から別の会社で働き始めました。

 瓦の仕事は屋根の上でやるので、雨の日はできません。だから夕輝は『雨でもできる内装の仕事ができるようになりたい』と言い、『将来は一緒に仕事をやろうよ』と声をかけてくれたんです。勤め始めた頃は寝坊して仕事に遅刻することもありましたが、この1年は成長し、日に日に大人っぽくなっていきましたね」