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 ところが冷戦後、欧州の政治的・軍事的同盟であるNATOは、没落したロシアを完全に蚊帳の外に置くようになった。そこにプーチンは大きな不満を持っている。ロシアも意思決定に参加できるよう、既存の枠組みを作り変えようとしているのです。

ロシア軍の戦車 ©時事通信社 

東郷 大きなプロセスの第1段階が、2014年のクリミアの奪還だった。そして今日の「ウクライナ侵攻」に至るのですが、なぜここまでの事態になってしまったのか――経緯を理解するには冷戦後、NATOの東方拡大の始まりから振り返る必要があります。

 発端は1987年。ペレストロイカ改革で欧米の熱狂的支持を受けたゴルバチョフが、「欧州共通の家」構想を提起したことです。西側とソ連は価値を共有する国になりつつあるから、欧州を分断していた様々な組織はやめようではないかと。1990年2月のドイツ統一交渉で、米独の枢要な交渉者は、ドイツ統一をソ連が是認するなら“1インチ”もNATOを拡大しないと、口頭ではありますが、約束しました。

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 1991年7月、当時のゴルバチョフ大統領は、ソ連の崩壊に先立ち軍事同盟・ワルシャワ条約機構を自ら解体します。ワルシャワ条約機構は元々、NATOに対抗するもの。NATOも敵対組織がなくなった以上は、おのずと解体の道に進むだろうとロシアは見ていました。しかし、認識が甘かった。

タリバン攻撃にも協力したプーチンだが…

畔蒜 旧東欧諸国はNATOの存続、さらに同盟への参加を強く望みました。

プーチンの思惑を分析する東郷和彦氏

東郷 このとき難しい調整役を任されたのが、米クリントン政権で対ロシア政策の責任者だったストローブ・タルボットでした。彼は大変誠実な人柄で、旧東欧諸国が望むNATO参加の権利は残しつつ、ロシアを納得させる仕組みを、懸命に探求しました。

 米ロ間での真剣な交渉の結果、1997年5月には、「NATOロシアの創立協定(Founding Act)」が締結され、NATOとロシアの間で「平和のためのパートナーシップ(PfP)」が約束されます。旧東欧諸国がNATOに加盟する権利は否定しないが、ロシアとNATOの関係が悪化しないように、運用においては十分な配慮をしていく――そのような方向性が確認されました。基本文書を今読み返してみても、称賛したくなるほど、よくできた内容です。