私は当時外務省で一連のプロセスをフォローしていましたが、この頃は欧州全体に非常に明るい雰囲気が漂っていました。1999年には東欧のポーランド、チェコ、ハンガリーがNATOに加盟します。アメリカもロシアもNATOも全員が結果に満足し、未来に明るい希望を抱いていました。
畔蒜 その後、大統領に就任したプーチンは、欧米諸国と友好的な関係を築きましたね。ロシアのNATO加盟を示唆する発言が、プーチン本人の口から出たこともあった。2001年のアメリカ同時多発テロの際には、米ブッシュ大統領が主導した反テロ連合に加わり、タリバン攻撃に全面協力しました。にもかかわらず、西側諸国は手のひらを返したようにロシアに冷たくなった。
軍事力を使ってでも「尊敬される大国」に
東郷 NATOの東方拡大の流れを追うと、2004年には旧ソ連の構成共和国であるバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)を含む7カ国が加盟を望み、一気に認められました。
畔蒜 プーチンも疑問を抱いたのでしょう。2007年のミュンヘン安全保障会議で、NATOの東方拡大に懸念を示しました。「ロシアの安全保障上の保証は今どこにあるのか?」と、アメリカの外交・安全保障政策を公の場で初めて批判したのです。
ちなみにその前年、ロシアは全ての対外債務を完済している。ソ連崩壊後の“負の遺産”を清算したうえで、既存の国際秩序を変えようとチャレンジを始めたのが、ミュンヘンでの発言だったと言える。この頃のプーチンはまだ、外交や対話を駆使することで、新しい秩序を構築しようと試みていました。
東郷 “レッドライン”を越えたのは2008年ですね。この年にルーマニアで開かれたブカレスト会議で、ウクライナとグルジア(現・ジョージア)の加盟について、NATOは原則「同意」します。独仏の慎重論で実際の参加には至りませんが、旧ソ連邦構成国で最もロシアに近い2カ国に東方拡大の照準をあわせてきたことで、プーチンは激怒した。「両国の加盟はロシアに対する直接的な脅威」と強く警告しました。
ここからプーチンは、これ以上の譲歩はしないと覚悟を固めたのでしょう。ロシアが悲惨なまでに落ち込んでいた時に作られた「冷戦後の欧州の安全保障秩序」を変えなくてはいけない。必要ならば、軍事力を使ってでも「尊敬される大国」としてのロシアの主張を貫徹させねばならない、そういう覚悟が生まれてきたのではないかと思います。
◆
東郷和彦氏と畔蒜泰助氏による対談「プーチンの野望」の全文は「文藝春秋」2022年4月号と「文藝春秋 電子版」に掲載されています。
プーチンの野望
【文藝春秋 目次】<絶筆>石原慎太郎「死への道程」/<芥川賞>「太陽の季節」全文掲載/驕れる中国とつきあう法/「品格なき大国」藤原正彦
2022年4月号
2022年3月10日 発売
特別価格1100円(税込)