文春オンライン

2022/04/02

 うちは男ばっかの会なんだよ。「そしたら男が何かやるって言ったらおまえ、女を助けるっきゃねえだべ!」って言って(笑)。募金だけじゃなくて、今も会でやるバザーは運び出しとか裏方を手伝っているんだ。もう40年近くなるかな。

全国に支部を作り、会員は3000人に

――最盛期で何人くらい入会されたのでしょうか?

田島 10年くらいかけて3000人にしたかな。北海道から沖縄までデコトラで日本を3周ぐらい回って呼び掛けて、全国35ぐらい支部を作ったよ。すべての都道府県は無理だったけど、きちっとした組織にしないと何かあったらすぐ崩れるから。

――映画の第一次デコトラブームにつぐ第二次ブームですね。会の雰囲気は変わりましたか?

田島 そうだね。映画がやっていた頃の哥麿会って、俺たち田舎もんや新人は相手にされなかったの。もちろん世話になった先輩もいたんだけど、全体的にそういう空気もあってよ。俺も含めて大した人間は端から集まっちゃいねえのに、かっこつけたってしょうがねえのにな(笑)。

 

 その悔しさもあって、俺が会長になった時には「来る者は拒まず、去る者は追わず」の精神で会を運営しようって。だから、入りたいっていうなら、ちょっとひねくれてても、ヤンチャな奴でも受け入れて仲間に入れていこう、落ちこぼれねえように付き合っていこう、ってみんなで決めたんだ。

――ちょうど田島さんが33歳で会長になった1980年代は学校が荒れたり、暴走族全盛の時代でしたね。

一度、道を踏み外した奴でも……

田島 そう。でもそいつらが暴走族やめた後、行き場がなかったわけですよ。自己責任なんて批判する人もいるけど、やっぱり誰かが彼らの生きる道や励む道なんかの受け皿を作ってやらねえと、もっと悪い道に行ってしまう。

 だから、俺たちは一度、道を踏み外した奴でも、トラックの楽しさを教えようって。もともと運転は好きなんだろうし、免許を取る頭さえあれば、運転手は誰だってできるんだから。

――本当に来る者、拒まずですね。

田島 当時、哥麿会に入ってきた奴は、人生が崩れた奴とか元暴走族が6割ほどいたんです。人生が崩れた、っていうのは、いいことでも悪いことでも、とことんまで突き詰めた人じゃなくて、途中で辞めてしまって宙ぶらりんな人間のことなんだけど、とにかくそういうのがいっぱいうちの会に来るんだ。

――駆け込み寺のようですね。人生や就職の相談所の役割も果たしていたんでしょうか。

 
 

田島 俺もそうなんだけど、何で暴走族だの、人の道をはずした方に行くのかっていうのは、結局、人を喜ばせることを知らないんだよね。学校でも家庭でも喜んでもらえた経験がないから、ぐれちゃったって奴も多いんじゃないかな。

――荒れてしまったのは、今まで必要とされていなかったから?

田島 そうだね。だから荒れてる若い奴にそうした人間の絆みたいなのを教えてやりてえ気持ちがあった。でもよ、俺たちが口であれこれ言ったところで、そうそう変わらないの。だけど、もし誰かに喜んでもらえたら、真っ直ぐに生きようってなるし、そこで初めて自分の居場所ができる。居場所ができると人間は変わっていくんだ。

 仕事も覚えて、生活もできるようになれば一番、いいがね。もちろん、そんな若者ばかりじゃねえけどよ。