――デコトラの会なのに、何でそんなにボランティアに打ち込んでいるんだろうと不思議でしたが、会員さんにとってもいいことなんですね。
田島 そうね。それでも、きれいごとばっかりじゃないし後悔ばっかりよ。ある被災地のおばあさんが、すーっと俺のとこに来て、「3万円、貸してくれねえか」って。ひとりに貸すのは簡単だけど、もし他の人にばれて、「私も、俺も」って来られたら、さすがにできねえから断ったけど。でも「ああ、あん時、内緒であげればよかった」って。
デコトラを見に来た子供たちと……
――難しいですね。明日が分からない状況で、とにかく不安だったんでしょうか。
田島 そうだろうね。身内を亡くした人もいたから。震災が落ち着いてからは、炊き出しよりも、デコトラ見に来た子たちとじっくり話す機会も多いんだよね。うちの会のスローガンは「災害に負けるな子供達」なの。会員のデコトラにはその文字が入っているんだ。
――交通遺児だけでなく被災遺児も支援しているんですね。
田島 被災地に限った話じゃねえかもしれないけど、やっぱり親が亡くなったり、学校に行けなくなったり、いろんなつらい状況の被災地の子を見てきたから。
まあ、不良とかひねくれて暴れてる連中は、俺も同じようなもんだったし、背中を見て後に続いてくれれば、ある日、直っちゃうんだ。ただ、おとなしいんだけど学校行かねえ子とかのほうが難しい。親も悩んでいる。
――そういう子にはどう声をかけるんですか?
田島 「勉強が嫌いなら学校で給食だけ食って来い。そうじゃなかったら、デコトラ見せねえぞ」って。すると案外、言うことを聞いて給食だけ食べに行く(笑)。周りに溶け込めない子には、学校でも道路でも「ゴミを拾え」って言うんだよ。きれいになって文句を言う奴はいねえ。1人が拾えば、2人、3人って仲間も増えるんだから。まあ、ゴミ拾いじゃなくてもいいけど、筋を通して頑張ってると人間っていうのは味方が自然にできてくるもんなんだ。
いじめられてる子には、「逃げていいから、絶対、死ぬんじゃねえよ」って。逆に、人をいじめる奴はね、親とか友達とか、誰かにいじめられたことがあるんだろうよ。自分が苦しんだ分、それをごまかすためにやってるだけ。みんながほっとくけど、俺はどんどん踏み込んで話を聞く。そんなことしてたら、昔、俺に悩みを話してくれたひきこもりの子が最近、高校卒業して就職したっていう話も聞いて嬉しかったね。
デコトラを“本当の文化”にするために
――よかったですね。そうした子に声をかけるのは、なかなかできることではないと思います。
田島 そうだね。嬉しいのは、支援していた交通遺児の子が大きくなって支援金を渡してくれたり、うちが縁あって応援している群馬の児童養護施設「鐘の鳴る丘少年の家」の卒業生たちがイベントに駆けつけてくれたこともある。有名人とかお金持ちとか、どっかの偉い人がやっているような支援とは違って、俺みてえなごく普通の人間がやっているからこそ、子供たちも後に続いてくれると思うんだ。
ただよ、ずっと休日もイベントとかボランティアで休む暇がなくて、自分の息子たちには何もしてやれなかった。だから、息子はデコトラが今も大嫌れえなんだ(笑)。人の子は助けても、自分の子にはかわいそうなことをしたよな。
――息子さんも今は分かってくれているんじゃないでしょうか。それにしても活動が着実に実を結んでいますね。
田島 いや、まだ中途半端だよ。運転手に憧れる子供達が将来、誇りを持って仕事ができるように、そしてデコトラ乗ってる奴がもっと社会の一員としての自覚をもって、世の中に貢献していかなきゃなんねえんだ。それでいつか世間が本当にデコトラを文化として認めてくれる日がくるんじゃねえかな。
撮影=三宅史郎/文藝春秋
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