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「戦争の本質は文学的」「降伏はジェノサイドの危険性を孕んでいる」日本人に“降伏論者”が多いワケと見逃されている《恐るべき代償》

ウクライナ危機 #2

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「戦争とはそもそも文学的なものなんです。それが橋下徹氏らにはピンとこないのかもしれません。だからウクライナに対して『降伏しろ』と簡単に言えてしまうのだと思います」 

 こう諭すように語るのは、国際政治学者の篠田英朗氏だ。篠田氏は学生時代より難民救援活動に従事し、カンボジアでのPKO活動をはじめとして、アフガニスタンやイラクなど数々の平和構築に携わってきた“平和構築の権威”である。(全2回の2回目/前編を読む)

ロシアへの抗議デモを行うウクライナ国民 ©️getty

「国民が犠牲になる前に降伏すべき」の落とし穴

 橋下徹氏をはじめとして日本では“ウクライナ降伏論者”が積極的に「ロシアに降伏すべき」と主張している。橋下徹氏や玉川徹氏がテレビやSNSで持論を展開し、テリー伊藤氏がラジオ番組でウクライナ女性へ降伏するよう意見して炎上したこともあった。

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 彼らの主張は大雑把にまとめればこういうことだ。

「太平洋戦争ではもっと早く降伏していれば犠牲者が少なかった。ウクライナも多くの国民が犠牲になる前に降伏して戦争を終わらせるべき」

 一見すると“現実的な主張”をしているかにも思える。しかし「デイリー新潮」(3月12日公開)などで歴史的な観点から、彼らの主張は戦後に日本が被った被害に目を向けられていないと指摘されている。篠田氏もこう批判する。

「いま、ウクライナが降伏することはジェノサイドのリスクを孕んでいます。太平洋戦争でも戦後すぐに国内が安定したわけではなく、そこかしこに占領軍によって蹂躙された人々がいた。そのほかの戦争でも同様のことが起きています。もしその後に“平和”が訪れるとしても、そこまでに生じる犠牲を無視することはできません。

戦闘地域から避難する民間人 ©️getty

 しかし、それ以上に問題なのがここで降伏することはウクライナにとって『国としての死』を意味するということです。ゼレンスキー大統領のスピーチにあった通り、彼らは自分たちの存在を賭けて『生きるか死ぬか』の瀬戸際で戦っているんです」