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「戦争の本質は文学的」「降伏はジェノサイドの危険性を孕んでいる」日本人に“降伏論者”が多いワケと見逃されている《恐るべき代償》

ウクライナ危機 #2

note

降伏論者に見えていない「戦争の本質」

 3月8日、ゼレンスキー大統領は英国議会でシェイクスピアのハムレットを引用し、「to be or not to be(生きるべきか死ぬべきか)答えはイエス、生きるべきだ」と演説。どんな犠牲を払ってでも戦い続ける決意を表明した。

米国議会でスピーチするゼレンスキー大統領。各国の議会に出席し支援を呼び掛けている ©️getty

 このスピーチを称賛した篠田氏のツイートに対し、橋本徹氏は《現実の戦地・政治をリアルに感じ取ることのできない学者の思考・感覚》《文学的表現に拍手喝采とは欺瞞の極み、というか超お花畑》などと批判。篠田氏は橋本氏のような考え方があることを認めつつ、「シェイクスピアの引用は彼らの戦争の本質を的確に表現していた」とも語る。

「戦争は単に人間が亡くなるか否かだけではなくて、国家やその国民である自分の存在をかけた戦いです。そういった意味で、戦争の本質は文学的であるといえる。そもそも文学には戦争を扱ったものが多いですよね。

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 ゼレンスキー大統領がシェイクスピアを引用したのは、イギリス人になじみのある英文学でイギリス国民にアピールしたかったから、という見方ももちろんできます。しかしあの言葉はそういった“狙い”を超えて、戦争の本質を突いていました。

 ウクライナはこれ以上ないほど最悪な状況です。その渦中の最高責任者が悩んで出した答えが、『自分の生きる道はここに残って戦うこと』だった。イギリス人は感動し、そして腹落ちしたことでしょう。彼らはいま、自分たちの存在をかけて“生きるために”戦っているんだ、と」

ウクライナ軍にも大きな被害が出ている ©️getty

 ロシアの圧倒的な軍事力を考えれば、ウクライナが置かれている状況は厳しい。それでも多くのウクライナ人が戦い続けることを選択しているのはなぜなのか。それは彼らのアイデンティティに関わる問題なのだ。

「自分の国がロシアの一部になっていく様を目の当たりにして、相当数のウクライナ人はこう自問自答することになる。『自分は戦っただろうか』『これから誇りと自信を持って生きていくことができるか』。

 ここで降伏を受け入れるということは、ロシア政府に粛清されないように、『私はロシア愛好者です』とノートにいっぱい書いて親ロシア派をアピールして、殺された人たちのことを忘れて、自分自身を繕って生きていくということなのです」