──その選択は、絶対に止めたいですね。
実は、一向に書き上がらない原稿をお待たせしていた時期に、編集者の方にずっと言っていたことがあるんですよ。「桜木雄平は、誰からも理解されずに死んでいくようにしたいんです」と。彼が最後に準備した自分にまつわる物語すらも、周囲の人々に誤解されてしまうんです。うまく書けたかどうかは分かりませんが、僕にとってはそこがこの小説のゴールでした。それはもしかすると、死を選ぶという選択から、僕自身を引き剥がすためだったのかもしれません。
みなさんの歌にしてほしいというような気持ちは、小説に関してはあまりないんです
──2021年11月刊のエッセイ集『犬は歌わないけれど』に、メンバーとの別れについて綴った「親友」という一編があります。その中に、こんな一節が出てきます。<恥ずかしいほどミーハーだった二人、妄想と願望とを好きなだけ膨らませて、自由に、そして無責任に夢を語り合っていた。何者でもなかった18歳の少年たちからすれば到底叶うようには思えない夢物語。(中略)信じられないよな。ほとんど叶ったんだなんて>。だとすれば水野さんにとって小説を書くことは、新しい夢を掲げることであり、夢を叶えるプロセスをもう一度自分の身に引きつけることでもあるのかなと思いました。
いきものがかりを始めた頃は、他者への寂しさが欲求としてあったんです。例えば路上ライブの時に、よそを向いていた人がこっちを向いたり、立ち止まってくれるだけで本当に嬉しかった。有名になりたいとか、CDを出してたくさんの人に曲を聞いてもらいたいという思いも、他者の目がこっちに向くという行為の延長だった。それが、今も昔もいきものがかりとしての「夢が叶う」の定義です。
一方で、小説を書くという行為は、他者に対する寂しさでやっているわけではないんですよね。いきものがかりで歌を書いている時は「自分たちの曲を、みなさんの歌にしてほしい」と思っているんですけど、そういう気持ちは小説に関してはあまりないんです。小説を書くことはもっと個人的な、「本当の自分」と出会っていく時間のような気がします。自分という存在を編み直していくような、何物にも代え難い経験なんです。今後一生続けることを、僕は始めたんだなぁという感触があります。
──では、小説家としての夢とは?
2冊目を早く書き上げること(笑)。清志まれという存在を、今後の人生を懸けて大きくしていくことですね。