2022年夏の参議院選挙に自民党の公認候補として比例区に出馬することを、昨年発表したマンガ家の赤松健さん。
90年代から「週刊少年マガジン」(講談社)誌にて『ラブひな』や『魔法先生ネギま!』などのヒット作を連発し、コミックス累計発行部数が5000万部を超える人気作家は、なぜいま、出馬に至ったのか――。(全2回の1回目/後編を読む)
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『ラブひな』のヒットで「少年マガジン」表紙の不文律が変わった
――赤松先生がマンガ家としてデビューされたのはいつですか?
赤松 週刊連載のデビューは『A・Iが止まらない!』で、1994年です。
――「週刊少年マガジン」が「週刊少年ジャンプ」(集英社)を抜いて発行部数トップに返り咲いた頃ですよね。
赤松 それは1997年のことですが、当時は『GTO』(藤沢とおる)や『金田一少年の事件簿』(原作:天樹征丸、作画:さとうふみや)などが連載され、掲載作品が次々とメディア化された時期です。
編集部全体が「日本一だ!」と色めき立っていましたね。「カーディガンを肩に巻いた業界人」じゃないですけど、編集者が颯爽と歩いていましたよ(笑)。
――いまでこそ「少年マガジン」にはラブコメ作品が数多く掲載されていますが、ヤンキーマンガが全盛の当時としては赤松先生の作品は異色でした。
赤松 それまで「少年マガジン」のラブコメといえば『BOYS BE…』(原作:イタバシマサヒロ、作画:玉越博幸)だったんです。「少年マガジン」誌上で、いかにもアニメっぽい絵柄や色塗りを採用したのが『ラブひな』でした。
同誌でCGによるカラーを使用したのも、おそらく『ラブひな』が最初だったんじゃないでしょうか。Photoshopのバージョンでいえば、まだ4.0の頃でした。
――いわゆる「アニメっぽい」とか「オタク好み」の作風、という印象でした。
赤松 そうですね。『ラブひな』には女の子がたくさん登場します。「少年マガジン」の表紙には、それまで女の子のキャラクターが中心に描かれることはなかったんですけど、『ラブひな』がヒットしたことでその不文律が変わりました。