「端的に言えば、私自身がいわゆる“キモオタ”なんですよ(笑)」
――連載期間は3年間で合計2000万部を超えるなど、『ラブひな』は大ヒットしました。先生がご自身で「売れた」と実感したのはどのタイミングでした?
赤松 マンガの売れ行きランキングで『ベルセルク』(三浦建太郎)より上になったことがあったんです。赤松スタジオのスタッフ一同は『ベルセルク』の大ファンだったので、ものすごく驚きましたね。「ひょっとして俺ら、売れてるんじゃない?」と話したのを覚えています。
また『ラブひな』のアニメ化が決まったとき、メディアミックスに関してグッズ業者などへの説明会が講談社であったんですけど、体育館のような広さの会議室が人で埋まっていました。
しかも、私が憧れていた名だたる原型師の方たちが「『ラブひな』のフィギュアをつくらせてください」と許可を取りにきてくれた。このときは「あっ、いま売れてるんだ……!」と実感しましたね。
端的に言えば、私自身がいわゆる“キモオタ”なんですよ(笑)。当時の赤松スタジオでは、作業中にアニメ『アイドル防衛隊ハミングバード』などのCDを流していましたが、アシスタントたちもアイドル声優や美少女キャラがとにかく好きで。仕事中の会話も、大体ガンダムのセリフからの流用だったり。
――ヒットの要因はどのように分析されていますか?
赤松 『ラブひな』に関しては、かなり計算して「狙いにいった」部分はあります。要するに最先端のギャルゲーの要素を、一般層の多い「少年マガジン」へ素早く紹介したわけです。それは読者は驚きますよ。
「先生の大事なしのぶちゃんにこんなことしちゃって申し訳ありません」
――同人誌即売会にも参加されていたそうですね。
赤松 コミックマーケットにサークル参加したときには、毎回数千部の同人誌を頒布していました。
コミケでは、私の作品もエッチな二次創作にされていましたけど、そういうサークルに名刺がわりにテレホンカードを持っていって「これからも『ラブひな』をよろしくお願いします」と挨拶して回っていったんです。そうしたら、「先生の大事なしのぶちゃんにこんなことしちゃって申し訳ありません」と、みんな随分と恐縮していましたけど。
私自身が「僕はこういうのが好きだぞ。みんなはどう?」という感覚を持っているからこそ、「狙う」こともできたんだと思います。