マレーシア・ボルネオ島。熱帯雨林生い茂るこの地に、狩猟採集を生業とする森の民「プナン」は暮らす。2006年から延べ600日以上にわたってプナンの人々と寝食を共にした、文化人類学者の奥野克巳さん。新刊『絡まり合う生命』は、民族誌を超えた、新たな人類学の構想である。
「プナンの人々は生きていくために食べるだけ。そのシンプルな生き方を、動物や自然と対話することで、成り立たせている。プナンから学んだことを、近年の研究の文脈に位置付け、人間の根源的な生き方を考えてみました」
森の民といっても、服装や外見は現代人と変わらない。車で移動するし、町で買い物もする。学校に通えば州政府から金銭的な援助を受けられるが、通う必要がないから行かない。食材や消費財はなくなってもなんとかなるだろうと場当たり的。現金収入はほとんどなく、他者から与えられるのを待つ。その生活は不安定で、「平地における完全なる敗者のように見える」。
「森の中でダラダラできれば十分と彼らは考えています。ただ、食料を得るための狩猟では優れたハンターになる。自然や他の動物の変化から、獲物の居場所を察知します。たとえば、森の中では、目視できないほど遥か頭上にいるリーフモンキーのそばで鳴く鳥の囀(さえず)りに耳を傾けます。猿も鳥も木の実を食べるため、しばしば鉢合わせとなるのですが、プナンは、獲物の存在を知るとともに、人間の接近を鳥が教えて、猿の命を助けているのだと解釈します。対象がどう考え、何を見ているかを、動物の視点に立って読み込むこと。この視点の移動、パースペクティヴィズムが重要です」
これは、何もハンターに限った特別なことではない。
「動物写真家の岩合光昭さんは、ネコに気に入ってもらえなければ写真は撮れないと仰っています。ネコがこちらをどう見ているのかを想像しながら、写真世界を作っていく。私たちも、ペットの表情や仕草から、気持ちを推測しますし、アニメ『もののけ姫』の人語を話す山犬などを違和感なく受け入れる。言い換えれば、相手の視点を読むとは、動物に人間性を託す『アニミズム』的考え方です。それは、私たちの精神の古層にあって、経験則に因った合理的な思考なのです」
プナンの動物譚や神話には、人格を持った動物が多く見出されるという。たとえば、フンコロガシはかつて金持ちの人間だったが、ある競技で不正をしたことがバレて、地上では糞を転がす虫になり、地中では以前と同じ黄金の家で豪華な暮らしをしているという。また、昔、マレーグマにだけは尻尾があったものの、それを羨む動物たちに、マレーグマは気前よく尻尾をあげたので、とうとう尻尾がなくなってしまった。
「これらを寓話的に読めば、気前よく分け与えるリーダーが信頼され、人間同士は平等で、物は均等に分けるべきだということでしょう。吝嗇(りんしょく)な者から人は離れていくのです。現にプナンは階層のないフラットな共同体です。と同時に、人間と他の生物はもともと同等な存在だという『マルチスピーシーズ(多種)人類学』の萌芽が読み取れるのです」
この考え方は、人間だけが地球を破壊する環境危機の時代=「人新世」の思想とともに主張されるようになった。「人間中心主義を続ければ絶滅しかない」と警鐘を鳴らす。
「人間はちっぽけな存在で、動物や自然と絡まり合って生きていることを感じ、考えていくことが、人新世を生きる私たちには必要だと思います」
おくのかつみ/1962年生まれ。立教大学異文化コミュニケーション学部教授。著書に『モノも石も死者も生きている世界の民から人類学者が教わったこと』、『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』等、共訳書に『人類学とは何か』他。