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牧秀悟がベイスターズと(私の)次男にもたらす「小さな成長」と「大きな変化」

文春野球コラム ペナントレース2022

2022/03/25
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「野球選手が『失敗したらはずかしい』ってバッターボックスに入らなかったら、どうなる?」

 私は次男の牧への思いを利用した。

 ある日、ランドセルから真っ白のテスト用紙を見つけた。「おいで」次男を膝に座らせて抱き締める。彼の顔を見ないようにした。「ママ怒らない。約束する。どうして何も書かないのか教えてほしい」。

 消え入るような声で「……はずかしいから」と答えた。「はずかしい?」「ま……まちがってたら……はずかしい」。

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 思ってもみなかった答えだった。私は混乱した。そんなことないよと伝えなければ。でもなんて言えばいいの?

「野球選手が『失敗したらはずかしい』ってバッターボックスに入らなかったら、どうなる?」私は聞いた。「ホームラン打てない」「そうだよ」。人間は失敗する。10のうち9は失敗する。10のうち3成功したらすごいと褒めてもらえるくらい。野球も、人生も。みんなそのために練習するんだよ。でも練習したって失敗する。ママなんかずっと間違って、失敗して、インタビューも緊張で毎回滝のような汗をかいて、なんであれ突っ込めなかったのかって後悔して、編集さんに「ちょっと意味がわからない」と苦笑されたコラム書き直して、もう結構なベテランなのに。悲しい。

「それはね、牧くんも同じなんだよ。いっちゅんと同じ気持ち」「え、牧も? 牧もはずかしいの?」「そうだよ。牧くんも間違うの恥ずかしいなって思ってる。でもみんなが待ってるから、打席に立つでしょ」「なんでママ知ってるの?」「牧くんがそう言ってたから」。牧の気持ちを捏造した私は、小2の澄んだ目に大人の嘘を見透かされないようにもう一度彼を抱き締めた。そういえば、牧のプロ初ヒットは泥臭い内野安打だったよなと思った。

嘘は、小さな成長とやがて大きな変化を連れてくる

「牧も人の子か」と言われた4月末の不調を見事に立て直し、オースティンがケガに見舞われた後は4番を守り、まるで1年の中で「2年目のジンクス」まで経験し克服したような牧のルーキーイヤー。ファンフェスでは“神奈川の牧”コスプレをして笑いを誘い、ベイスターズファンの聖典『横浜LOVE Walker』では堂々表紙モデルを務めた。笑顔の牧を見るにつけ、勝手な嘘を背負わせた罪の意識で胸がちょっと痛んだ。

 牧にチームを背負わすもどかしさどころか、勝手な嘘まで背負わせてしまったのは私だ。でも嘘みたいなコーチ人事が発表され、キャンプで嘘みたいに石井琢朗と斎藤隆と鈴木尚典がベイスターズのユニフォームを着ていた。嘘みたいにオープン戦でエンドランが成功して、嘘みたいに1アウト一、三塁を作った。嘘みたいに。嘘みたいに、オースティンとソトの開幕戦絶望を聞いた。ベイスターズを上位に予想していた解説者は嘘みたいに絶望していた。

「なんでもいいからとりあえず書けばいい」と言った母の言葉を真に受けて、計算問題用紙の隅に、次男が大きな文字で書いていた。

©西澤千央

 下敷きにプリントされた「牧秀悟」の文字を見よう見まねで書いたのだろう。とりあえず好きな人の名前を書いちゃうというのは、昭和も令和も変わらないらしい。もうすぐ3年生になる今、「牧秀悟」だけはちゃんと書けるようになった。

©西澤千央

 嘘みたいな昨シーズンのベイスターズ。でも嘘は、小さな成長とやがて大きな変化を連れてくる。「チーム全員が牧だったら」なんて言わせない、大きな変化。ツイッターに流れてきた牧の2022年のスローガン「自分を超えていく」。牧もベイスターズも、次男も、きっと自分を超えていくから。今年はハマスタでたくさん花火が見られるといいね。

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