「爽彩にいてほしかった……。爽彩本人がいないから悲しくて、涙が止まりませんでした。娘がいなかったから感じてなかったんですけど、同級生の子たちはみんな受験を終えて次の進路が決まって、卒業していったんだなって。最初は進学校へ行きたいという希望を持っていた爽彩ですが、学校に行くことができなくなって勉強にもついていけないからと、高校はインターネットのプログラミングなんかを学べる高校に行きたいと言っていたのを思い出しました」(同前)
お母さんはご飯を食べてないんじゃないか、寝てないんじゃないか
爽彩さんは2019年4月から9月までY中学校に通ったが、イジメを受けた後にX中学校に転校した。
文春オンラインが爽彩さんの事件を初めて報じた2021年4月15日、X中学校では、体育館に学年ごとに生徒が集められ、「命の大切さを訴える会」が開かれた。その壇上で校長は爽彩さんが痛ましい最期を遂げたことの無念さを訴え、改めて「命の大切さ」について、生徒たちに真摯に語り掛けた。当時、校長は文春オンラインの取材にこう答えた。
「爽彩さんが亡くなったことを受けて、もう一度、命の大切さについて私のほうから生徒たちに伝えようと考えました。生徒たちも全員私のほうをちゃんと見て、真剣に聞いてくれていました。爽彩さんには、ただただご冥福をお祈りするしかないなと、本当に痛ましく悲しいことだなと受け止めています」
ウッペツ川への自殺未遂事件後、約3カ月の入院を経てX中学校に転校してきた爽彩さんだったが、PTSDによる後遺症に悩まされ、思うように学校に通えなかった。
「最初のほうは通学できていたのですが、やはりイジメによるフラッシュバックで同年代の子たちと接することが『怖い』と訴えて、登校の途中で帰って来てしまったりして、1カ月くらいで不登校となってしまいました。昨年2月に爽彩が失踪した時に私が探していると、X中学の担任の先生が『お母さんはご飯を食べていないんじゃないか、寝てないんじゃないか』と心配してくれて、手作りのおにぎりやサンドイッチを持ってきてくれたりしました。『僕が代わりに探しますから』と、授業の合間に倒れるまで爽彩のことを捜索してくれて、X中学校の先生たちには感謝しかありません」(爽彩さんの母)