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軍需工場跡という戦争遺産で
そしてもう1つ、軍需工場跡という戦争遺産で夏祭りを開催することに抵抗がなかったのかということだ。実際に稼働する前に終戦を迎えているとはいえ、一般的には負の遺産と思われがちだ。今年87歳となる林さんは、坑道を掘っていた頃、小学生だったという。
「当時は75人学級でしたが、大半が外国人労働者の子供でした。強制的に連れてこられたとか、少なくともここはそんなんじゃなかったし、大人も子供もみんな家族的な付き合いで仲良く暮らしてましたよ」
今でも、当時の旧友たちと再会したいと願っているという。
こうした温かい心によって培われていた地域の土壌があったからこそ、ここで日本唯一の洞窟夏祭りが行われていたのだろうと思った。
そして、難しいとは分かっているが、いつの日か、洞窟夏祭りが復活してほしいと願っている。
一方、この坑道の歴史を調べていくと、ある意外な資料にたどり着いた。なんと、坑道は鎌倉時代には存在していて、この中で「鎌倉幕府倒幕の密議」が行われていたというのだ。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも通じそうな話は、果たして本当なのか。後編では、思わぬ形で出会った“歴史ミステリー”を紐解いてみる。
撮影=鹿取茂雄
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