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右手の負傷……「やれるところまでやるしかない」

 キャンプを完走すると、オープン戦でも結果を残し、念願の開幕スタメンをほぼ手中に収めた。しかし、ここで試練が待っていた。

 3月20日のロッテ戦(バンテリンD)の5回1死。二塁ベースをタッチしようと、ついた右手にアクシデントが発生した。とっさに起き上がったが、激痛が走った。開幕を目の前に離脱できない。目標としていた開幕スタメンが、もうすぐそこまで来ているのに。色々な思いが駆け巡った。

 かけよったコーチやトレーナーへ、とっさに「すり傷です」と強がった。2度の精密検査を行い、骨折こそ免れたが、ドクターからは手術を勧められるほどだった。球団からは右手薬指の負傷という発表。実は、薬指だけでなく小指の状態も決して良好ではなかった。

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「骨折していなかったし、やれるところまでやるしかない。痛みと共存できる道を探す」

 勇希くんはそう前を向いた。荒木雅博内野守備走塁コーチや、中村紀洋打撃コーチ、森野将彦打撃コーチは、実体験を基に回復へつながるアドバイスをくれた。

 2度目の精密検査を終えたとき、見せてもらった右手の2本の指は、青黒く腫れ上がり指の付け根が膨張していた。いつもの“ノリ”で気軽に「きっと大丈夫」とも「無理したらあかんよ」とも言えるわけがなく、何度か頷いて会話は終わってしまった。

開幕戦の夜、勇希くんから届いたメッセージ

 それでも、チームメートの大島、高橋周平、根尾らの計らいで、岐阜の治療院を受診。約2時間の治療に耐え、確実に状態は上向いた。

 バンテリンドームのロッカーが近い選手会長の京田は、負傷後に「チームにお前の力が必要だから」とメッセージを送ってくれた。「どうでもいい選手ならそんなことしない。去年の秋季キャンプから必死に練習した姿を見てたんで。有言実行でレギュラーを取った。まだ20歳ですよ? あいつはすごい」。普段はまるで兄弟のような関係。京田が「新リードオフマンの岡林“さん”だけは写真撮ってください」とジョークを飛ばせば、その横で無邪気に「京田さんと一緒がいい!」とラブビームを送り続ける。「#ぐんばやし」が浸透してきた郡司裕也からは、春季キャンプ終了後、寮に誕生日プレゼントとして高級イヤホンが届いていた。「これでぐんちゃんといつも一緒だー!」と、心の底から喜んだ。周囲から絶え間なく送られる勇希くんへの愛情が、超回復の手助けをしたのかもしれない。

 3月25日の深夜。開幕戦の取材を終えた36歳の私は、健康を気にするふりをしながら糖質オフの一番搾りロング缶を片手に、各局のスポーツニュースを見漁っていた。めったに出張先のホテルでお酒は飲まない。

 まもなくしてスマホにメッセージが届いた。「今日は泣いていいですよー!」と書かれていた。

 心が震えた。痛みや辛さを見せず奮闘し、ひたむきな努力で結果を残した青年の勇気とたくましさとド根性に。まだ当然痛みはある。試合後は長時間治療にあて、超音波機器を患部に当てるなど細心の注意でケアを行っている。回復を待ちながら試合に出て結果を残す。それが岡林の結論だ。これからたとえ野球記者を離れても、この開幕戦を忘れることはない。

 断言できる。岡林勇希は、竜の未来を背負って立つ。

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