嗅覚を扱う物語を自分で書こうと思ったきっかけ
「私も風邪で嗅覚を無くしたことがありました。焼き魚の匂いがしない、と気づいたとき、世界が真っ白に、平坦になったような気がしました。そのとき、嗅覚ってこんなに大切なものだったのだ、と、実感したのです。
ただ、それで、すぐに嗅覚を扱う物語を書こうという気にはなったわけではありません。たとえば、世界的に大ヒットしたドラマ『スニッファー ウクライナの私立探偵』などのように、優れた嗅覚で事件を解決する面白い物語が、すでにあることは知っていましたから、自分で書こうという気持ちにはならなかったのです。
でも、草木が香りでコミュニケーションをとっている、と知ったとき、目の奥が光ったような気がしました。『生きものたちをつなぐ「かおり」――エコロジカルボラタイルズーー』という本などを読み進めるうちに、わくわくしてきて、生態系が香りで繋がっている様子――香りを通して見えてくる世界の在り方――を、描いてみたくなったんです」
ひとつの強大な力が暴走し始めたら、そこに勝者はいない
この物語のもうひとりの主人公、香君として生きてきたオリエは、アイシャに言う。「祈りを捧げる対象がいること自体は、私は悪いことだとは思わないの。この世は過酷で、人の力ではどうにもならない天災が起こるから」。
「祈ることができるというのは、大切なことだと思います。この世には、つら過ぎて耐えられないことがたくさんありますから。それに、遠い何かを思うことは、人を謙虚にし、この広大無辺の世界に対して畏敬の念を抱かせてくれると思います。
ただ、絶対的な権力をもつ存在の下に民がいるというシステムの中では、自らの未来を決めているのは自らの判断や行動だと感じることが難しくなってしまう。そのシステムに慣れていくと、自ら考えることを止め、自分の未来に対する責任も、権力者に預けてしまう可能性があると思うのです。それは危険で、怖いことだと思うのです」
ひとつの強大な力が暴走し始めたら、そこに勝者はいない。ただ、一面の焦土と化すだけであることが、生きとし生けるものたちの命の摂理として描かれていく。
「『樹木たちの知られざる生活』という本を読んだとき、胸に響いた言葉がありました。“社会の真の価値は、そのなかの最も弱いメンバーをいかに守るかによって決まる″という言葉です。この世は非情で、生きることには多くの困難が伴います。それでも、人は他者を思うことができる生き物でもあります。自らが行うことが、どういう未来に結びつくか想像する力もあります。
学び、観察し、想像し、知識を共有し、他者を思って支え合う。そういうことが、この過酷な世界の中で、私たちを、なんとか生き延びさせてきたのではないでしょうか」
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