『獣の奏者』では人には慣れない獣が、『鹿の王』ではウィルスが、この世界をひもとく重要なモチーフとして描かれていた。そして、最新作『香君』では植物の知られざる生態に、読者は心揺さぶられることになるだろう。上橋菜穂子さんは言う。(全3回の2回目。1回目3回目を読む)

植物は、静かで、やや遠い他者のように感じていました

「植物には、ずっと心惹かれていたのですが、なかなか物語になってくれなかったんです。私には、植物は静かな存在に思えていました。日頃から植物を育てている人にとっては、コミュニケーションがとれる感じがあるのかもしれないけれど、私には、犬を撫でたらうれしそうに尾を振ってくれるような、そういう近い関係にはなれない相手だったのです。基本的に、生まれ落ちた場所から動くこともない植物は、静かで、やや遠い他者のように感じていました」

「人間は、森羅万象のうちのひとつに過ぎない」と語る上橋菜穂子さん(撮影:小池博)

 それでも、いつか物語にという想いが消えなかったのには、理由がある。

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「昔々、私がまだ大学生か大学院生だった80年代の初め頃、植物同士がコミュニケーションしているのでは、という説が話題になったことがあったのです。何かに傷つけられた植物がSOS物質を出すと、それを感知した近くの植物が反応して、防御を始めるという説で、そんなことが本当にあるならすごい、と興味を惹かれていたのですが、その説は下火になってしまったので、残念に思っていたのです。でも、分析技術の飛躍的な進歩によって、2000年代にそれが再び注目されはじめたのです」

昆虫たちは植物の出す香りの意味を把握している

 驚くべきことに、植物は本当にコミュニケーションをとっていた。

「京都大学生態学研究センターの高林純示教授の『虫と草木のネットワーク』は、植物と昆虫たちの香りによるやりとりについて、わかりやすく書いている本で、私はわくわくしながら読みました。ナミハダニに食われているときと、シロイチモジヨトウに食われている時とでは、植物は、それぞれ違う匂いのSOSシグナルを出していて、それぞれの害虫の天敵は、その匂いを判別して、自分の餌や、寄生できる相手がいるところへやって来るのだそうです。

 つまり、昆虫たちは植物のだす香りの意味を把握しているのでしょうね。キャベツに芋虫がいっぱいついても食べ尽くされてしまうことがないのは、そうやって天敵によって制御されているからなのでしょうね。自然の仕組みというのは、実に巧妙に出来ていますよね」

 あるいは、東京農工大学の藤井義晴名誉教授による『アレロパシー 他感物質の作用と利用』によれば、植物は、天然の化学物質を体外に放出することで、他の植物や昆虫、微生物、小動物、ひいては人間にも何らかの影響を及ぼしているのだという。