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〈『香君』刊行インタビュー〉上橋菜穂子がわくわくした“香りと植物”の世界 「風邪で焼き魚の匂いがしないと気づいたとき、世界が平坦になった気がしました」

上橋菜穂子さんインタビュー#3

2022/04/01

source : 文藝出版局

genre : エンタメ, 読書, ライフスタイル

note

 上橋菜穂子さんの最新作『香君』の主人公、アイシャは、人並外れた嗅覚の持ち主。彼女が感じている<香りの声>で見えてくる世界とは一体どのようなものなのか。上橋さんは、言う。(全3回の3回目。1回目2回目を読む)

人並外れた嗅覚の持ち主、アイシャが主人公の『香君』

「<香りの声>で草木が行っているやりとりを感じている、というあらすじを読むと、魔法や超能力で草木の言葉を理解していると思われてしまうかもしれませんが、生まれたときから嗅覚がアイシャくらい優れていて、しかも、観察する力に長けている場合、そういうこともあり得るのではないかなあ、と思ったのです。

 この草は、この虫に食べられていると、この香りを発する。この香りが漂うと別の虫がやってきて、草を食べている虫を食べてしまう、というようなことを、幼い頃から自然に感じながら生きてきたら、半鐘の音が『火事だ! 火事だ!』と聞こえるような感覚で、香りの意味を感じているのではないか、と」

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嗅覚って、知れば知るほど面白い

 嗅覚は、記憶や情動にも関わっている。

「『失われた時を求めて』の冒頭、紅茶に浸したマドレーヌの香りで幼い頃の記憶がよみがえるシーンは有名ですよね。香りが記憶と結びついているということは、ある香りを懐かしいと思う人もいれば、別にそうでもない、という人もいるわけです。記憶との関連だけでなく、ある香りをどう感じるかには、人によって差異がある場合もあるようですし、人によって嗅ぐことが出来ない匂いというのもあるそうなのです。

 たとえばアスパラガスを食べたあとの尿には独特の匂いがあって、私はそれを感じるのですが、感じないという人も多いですよね。嗅覚って、知れば知るほど面白いです。

 

 私たちは、日頃、嗅覚のことは、あまり気にせずに生きているような気がしますが、実際には常に様々な匂いを嗅いで暮らしているのですから、匂いを感じられないと、世界が変わってしまったように感じるくらい、嗅覚というのは重要なものなのだろうと思います」

 新型コロナウィルス感染症の症状のひとつに「嗅覚を失う」ということがあるので、あらためて意識した人も多いのではないか。