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3人兄弟の末っ子だった志村は、どんなに忙しくても年末は東村山の実家に帰省していた。当然、師匠を東村山へ送り届けるのも弟子の仕事。そこでげそ太郎氏は、志村の意外な一面を目撃した。
母親思いの志村さんは開演前に車いすを押して…
「志村さんはお母さまをとても大切にされていました。お正月に実家へ挨拶に行くときも、お母さまに連絡して、砂糖で甘辛く煮た厚揚げを頼んで作ってもらったりして、お母さまは志村さんのことを本名(康徳)の“やっさん”と呼んでいて、志村さんもリラックスした表情でした。
お母さまは毎年、志村さんの舞台『志村魂』を観に来られていて、志村さんが開演前にお母さまの車いすをゆっくり押してグッズ売り場を回り『どれがいい?』と、やさしく聞いたりされていました。舞台では志村さんが津軽三味線を披露するのですが、お母さまが観劇に来られると、緊張で間違えたりすることが多かったですね。志村さんも『なんでかなあ(笑)』と照れていました」
01年に7年間の弟子生活を終えたげそ太郎氏は、その後も師匠からお呼びがかかり、志村の舞台に出演していた。08年、舞台「志村魂」は初めて九州へ進出。福岡公演のステージでげそ太郎氏を待ち受けていたのは、師匠の意外な計らいだった。
「九州の舞台なんて初めてで、鹿児島に住んでいる僕の両親や親戚が劇場に観に来ていたんです。本番前にお時間をいただいて、親父とお袋を志村さんの楽屋に連れて行って挨拶をさせてもらいました。本番の喜劇では、僕が駅員役で志村さんがホームから飛び込もうとする役でした。僕の出演は台本で2行くらいの30秒ほどのシーンで、2回飛び込もうとする志村さんを必死に止める演技をしていました。