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『のらくろ探検隊』の「探検」の意味

 このように、田河は自らの読者を義勇軍に勧誘するだけでなく創作の指導を行っていたわけだが、それは読者との交流という美談には当然、収まらない。繰り返すが「素人」の創作者の育成は、戦時下の重要政策であり、満洲においてはまんがは文化工作の手段として意識され、「満洲の特殊性に鑑み、当局として日満漫画家を積極的に養成する必要」(今井一郎「漫画と宣伝」「宣撫月報」1938年9月号)が説かれていたものである。

 それが、佐久間が回想したように多くの人気まんが家の視察、そして現地機関に所属するまんが家を産む前提にもなっている。

 このような田河の義勇軍マニュアル制作や義勇軍へのまんが指導を踏まえた時、並行して執筆され、『のらくろ探検隊』というタイトル名でまとめられた「のらくろ」の大陸編とでもいうべきシリーズに対し、子供のニーズに応えただけという擁護はいささか難しくなってくる。

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 というのは、まず「探検」というタイトルそのものが「示達」に添ったものであった可能性は高いからだ。「示達」が「仮作」を「探検」ものなどに切り替える旨指示していたのはすでに見た通りだ。

「のらくろ」に下された「大事な仕事」とは

「のらくろ」は、「少年倶楽部」1939年5月号「のらくろ大尉歓送会」を最後に「思うところあって」あるいは「深い考えがあって」大尉の身分を最後に退役する。その具体的な「考え」は「兵隊をやめて別な方面からお国のためにつくすことになった」と語られ、雑誌の柱の「引き」の文言にも「ある大事な仕事をするため長い間の兵隊をやめました」とある。

「犬」と「兵隊」という、子供の好きなものを2つ組み合わせたとされるキャラクターの属性の一方を捨てる設定変更は、前編で触れたように「のらくろ」があるから「少年倶楽部」の部数が減らず、紙の配給を節約させるために打ち切られたという説もあるほどだから、人気が衰えての路線修正とは考え難い。

 そして同年の6月から田河が拓務省の斡旋で渡満したことを考えると「のらくろ」に下された「大事な仕事」は、田河が求められた義勇軍政策への協力と同義と考えるべきだ。まさに白羽の矢が立ってしまったのである。

 このように田河の場合、まんが家とキャラクターの双方が「動員」されたのである。