そして再び新たな鉱脈探しに1人出発、間諜と対決するなどの展開が始まったところで唐突に開発会社の金鉱に迷い込み、同社社長となったかつての上官・ブル連隊長と面会、1人の「産業戦士」として「一生涯この穴ぐらにもぐって人に知られない地下資源を開発するために奮闘する決心」をする。つまり「のらくろ」は、最後は鉱山労働者となるのである(図24)。
絵柄も変化し、終盤間際などの背景はまるで大正新興芸術運動をともに生きた柳瀬正夢あたりのプロレタリアまんがの筆致を彷彿とさせもする。
描かないことが「国策」
こうして見た時、義勇軍への入隊から開拓村までの活動をマニュアルふうに描く「義坊」と比して、「のらくろ」は何か決意を持って退役したにしては迷走している。大陸の「風俗紹介」「鉱山開発」「義勇軍」といったテーマを表面的におざなりにこなしていく。そこには自分の読者を「動員」することに葛藤があったと善意で読みとりたいが、その証拠はない。
1つだけいえるのは、マニュアルにも「のらくろ」にも、あまりに劣悪な義勇兵の現実は当然だが描かれていないことだ。田河の義兄である小林秀雄は満洲視察の記録「満洲の印象」で過酷な自然環境や、そこでの絶望的な生活を容赦なく描く。義勇軍の少年がペーチカが燃えないのに苛立ち、ガソリンをかけようとして誤って焼死する事例に遭遇し暗然とする(小林秀雄「満洲の印象」「改造」1939年新年号)。同様に前編で引用した高見澤潤子の回想からも田河がそういった現実を直視し同情したことはうかがえる。
しかし、描かないことがまさに「国策」であった。
戦争を愉快で楽しいものに転化する、まんがの政治性
何より「まんが」という愉快な形式性がこれを阻むのである。例えば「のらくろ」は氷点下にあっては氷づけと化すが、それによって銃弾をはね返す(図25)。
それが「まんが」という形式性である。田河は「のらくろ」においてミッキー様式のキャラクターを出世させ(つまり成長させ)、『のらくろ武勇談』(大日本雄弁会講談社、1938年)では「のらくろ」を負傷入院させている。つまり、のらくろは生身に近い身体を持ちかけている。しかしその一方では中国兵に見立てた豚のキャラクターが自分の首を切断されても気づかないという「笑い」をいささか無神経に描く(図26)。
戦場におけるリアルな身体を田河は、というよりこの時点でのまんが表現は「愉快な」という国策に阻まれて描き得ないのである。まんがは結局は戦争という「現実」を書き得ず、何か愉快で楽しいものに転化する役割を果たす。それが戦時下のまんがの役割である。だから田河の元生徒も戦後、回想録の中で、文章では義勇軍の過酷な現実を描きながら、同時掲載された「まんが」では「愉快」な日常を描いてしまうのだ。そこに、まんがという形式の本質的な政治性がある。
【前編を読む】人気まんが家が“戦争”に協力していた? 日本が戦時下に行った「文化工作」の実態とは