美内すずえさんによる少女漫画作品『ガラスの仮面』は、1976年から連載が始まり、今もなお続いている長期連載作品です。世代を超えて私たちの心を掴んで離さない名作漫画は、どんな環境で生まれたのでしょうか。
ここでは、少女漫画の黄金期である1970年代までにデビューした12名の漫画家の記事を編んだ『少女漫画家「家」の履歴書』(文藝春秋)より、漫画家・美内すずえさんがこれまで暮らしてきた家の思い出を紹介します。(全4回の3回目/#1、#2、#4を読む)
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心機一転、『ガラスの仮面』連載スタート
21歳の時に体調を崩し実家へ一時帰宅、23歳で再上京を果たす。西荻窪の南口にある2DKのアパートで一年暮らした後、今度は北口の少し広めのマンションに移り住む。この頃、今なお連載が続く演劇漫画の金字塔『ガラスの仮面』の第1話が少女漫画誌「花とゆめ」1976年1号に掲載される。
私が16歳で初投稿した作品を推してくれた編集長が集英社を出て、白泉社という新会社を作るという話を聞き、「私も一緒に行きます」と。心機一転、長めの連載をしようということになり、自分の才能を活かせる世界では光り輝くんだけれども、普段の日常では何もできないというコンプレックスの強い女の子を描きたいな、と考えました。『王将』の阪田三吉棋士、その少女版を描きたいなとずっと思っていたんですよ。
最初はお琴をやる女の子はどうかなと考えていたんですが、編集長に「本から音は出ないし、絵としても面白くない」と言われ、「演劇なんかいいよね」と。考えてみれば、私は高校3年生の時に初めて与えられた長編の枠で、お芝居の漫画を描いていたんです。編集長はそれを覚えてらしたと思うんですが、確かに演技なら絵面(えづら)にしても面白いので、「やりましょう」と。
お芝居について詳しい知識や関心があったわけでもなく、見切り発車でしたね(笑)。『ガラスの仮面』の主人公、北島マヤも演劇の素人という設定ですから、私も彼女と一緒に勉強していけばいいやと思ったんです。