美内すずえさんによる少女漫画作品『ガラスの仮面』は、1976年から連載が始まり、今もなお続いている長期連載作品です。世代を超えて私たちの心を掴んで離さない名作漫画は、どんな環境で生まれたのでしょうか。
ここでは、少女漫画の黄金期である1970年代までにデビューした12名の漫画家の記事を編んだ『少女漫画家「家」の履歴書』(文藝春秋)より、漫画家・美内すずえさんがこれまで暮らしてきた家の思い出を紹介します。(全4回の3回目/#1、#2、#4を読む)
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立ち読み名人だった子供時代。家は床屋さん、大阪の工場街のど真ん中でした
18歳で上京してからは引っ越しが多かったせいかも分かりませんけど、自分の家と呼べるような場所にいたという印象があんまりないんです。例えば夢の中で「あっ、私は今、家にいるんだ」という気持ちになるのって、子供の時に育った家ぐらいしかないんですよ。あの頃の夢を見る時だけ、家を感じるんです。
40余年にわたって連載が続く国民的漫画『ガラスの仮面』で知られる美内すずえさんは、美内家の長女・鈴恵として、1951年に兵庫県鳴尾村(現・西宮市鳴尾町)で生を受けた。両親はともに理髪師で、4歳年上の兄との4人暮らし。1歳の時に大阪府大阪市西区の店舗兼住居に移り住む。
今は大阪ドーム(京セラドーム)がある九条のすぐ近く、工場街のど真ん中にある家でした。東南の角地にあって、最初は1階の全部が床屋だったんです。
私が小学校5、6年ぐらいの時に建て直して、1階は床屋と台所と両親のいる部屋、二階は兄貴と私が使うようになりました。鉄工所がとても多いものですから、作業服を着て鉄とか油にまみれていたり、そういう人がお客さんには多かったですね。
小さくて狭い家だったけど、床屋をやっていましたから、いつも家に両親がいるんですね。お店の入口は上半分がガラスで、下は木の扉だったんですけれど、うちの親父がチョッキンチョッキンやってる姿が、学校から帰って来ると遠目からも見えるんです。
今考えると、それってすごい安心感なんですよね。帰って来たら必ず両親がいる、なんにも余分なことを考えずにくつろげる、その暖かさが家なんだろうなって私は思うんです。