カンヅメ旅館にほぼ入りっぱなしで仕事
1969年、高校卒業と同時に上京。編集者が探してきた、東久留米の六畳一間のアパートに入居する。
実を言うと、上京してしばらくは、家では、あまり仕事をしてないんですよ。27歳頃まで足掛け9年ほど、神保町にある有名なカンヅメ旅館にほぼ入りっぱなしで仕事をしていたんです。最初の2年は「花月旅館」で、それ以降は「錦友館」。
特に錦友館は思い出深いですね。ここに詰め込まれた漫画家の多いこと、多いこと! 印象的だったのは、錦友館のフロントに中年のおじさんがいるんですが、やがて、そこに青年が立つんですよ。学校を卒業したので、お父さんの代わりに立ってるわけですね。しばらくしたら若い女の人が一緒に立つようになって、「ああ、結婚したんだな」と思っていると、今度はベビーカーに子供が乗っていて、「私、そんなに長いこといたんだ!」って(笑)。
今はなき錦友館は6階建てでした。アイデアを練る時に泊まっていた部屋は、普通のワンルーム。5、6人と大勢で原稿を描く時は、和室の12畳ぐらいの部屋を使っていました。座敷テーブルにみんなで座って描いて、別の部屋に寝る場所は確保してもらっているんですけれども、結局その場に座布団を並べて薄い布団をかけてみんなで雑魚寝(ざこね)して。
女の子ばっかりでわいわいがやがや、合宿ノリでやっていたので、締め切りは辛つらかったけれどすごく面白かった。私は実際に演劇をやった経験はないんですが、錦友館で過ごした時間は、ある種の「劇団」体験だったんじゃないかと思います。