国内のみならず、海外においても人気を集め、いまや日本を代表する分野に成長した「まんが」文化。一方、戦時下において、まんがという表現技法はプロパガンダに利用されてきた歴史もある。日本が各国に向けて行ってきた文化工作とはいったいどのようなものだったのか。
ここでは、評論家の大塚英志氏の著書『大東亜共栄圏のクールジャパン 「協働」する文化工作』(集英社新書)の一部を抜粋。満蒙開拓青少年義勇軍に対して行った文化工作を、豊富な資料とともに振り返る。
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少年まんがの人気作家を、戦争協力に「動員」
本章では戦時下におけるまんが表現の「動員」について、2人のまんが家を対比的に検証する。いずれも佐久間晃(編集部注:在満中に外地新聞や、企業の宣伝課・広報課でまんが執筆を行ってきた人物。帰国後、当時の経験を振り返った書籍『絵と文 想い出の満洲』を著した)が満洲で活動したまんが家としてその名を挙げた2人である。彼らが満洲で行ったのはまさに「文化工作」としてのまんが教育なのである。
1人は田河水泡(1899~1989年)。1931年に開始された「のらくろ」シリーズの作者である。
もう1人は阪本牙城(1895~1973年)。1934年に連載が始まる『タンクタンクロー』の作者である。15年戦争前期、それぞれ「少年倶楽部」「幼年倶楽部」という児童雑誌で圧倒的な人気を誇り、戦後も復刊が続いた作品である。こういった人気作家までもが戦争協力に「動員」されるのが戦時下であることはまず確認しておく。
しかし「のらくろ」「タンクタンクロー」それ自体が戦時協力作品というわけではない。軍隊や戦争を題材としているが、ナカムラ・マンガ・ライブラリー(編集部注:かつて存在したまんが誌)がそうであったように、戦争や軍人は子供という大衆の欲求に忠実に応えたもので、阪本の「タンクロー」の主人公には戦争物と並ぶ人気ジャンルである立川文庫的な「忍者」のイメージも投影されている。
この2人のまんが家が政治的に「動員」された国策とは、満蒙開拓青少年義勇軍であった。この点でも共通であった。
「満蒙開拓青少年義勇軍」という国策への協力
満蒙開拓青少年義勇軍とは、1937年、第1次近衛内閣に対し出された農村更生協会会長・石黒忠篤、満洲移住協会理事長・大蔵公望、同理事・橋本伝左衛門、那須皓、加藤完治、大日本連合青年団理事長・香坂昌康の6名による「満蒙開拓青少年義勇軍編成に関する建白書」を受ける形で定められた「満洲青年移民実施要綱」に基づくものだ。
翌38年から募集が開始され、数え年16歳から19歳の男子を対象とする新たな移民政策である。日中戦争への兵士の大量動員と景気拡大に伴う労働力の需要拡大によって成人の移民確保が難しくなっていたからだとその理由が説明されることが多い。