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人気まんが家が“戦争”に協力していた? 日本が戦時下に行った「文化工作」の実態とは

人気まんが家が“戦争”に協力していた? 日本が戦時下に行った「文化工作」の実態とは

『大東亜共栄圏のクールジャパン 「協働」する文化工作』より #1

2022/04/15
note

 田河の義勇軍政策への関与は、おおむね以下の3つの形で確認できる。

 (1)勧誘マニュアルの冊子『あなたも義勇軍になれます』の執筆、および義勇兵への参加過程を、順を追って描くまんが「義勇軍の義坊」シリーズの執筆

 (2)外地訓練所での義勇兵へのまんがの創作指導

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 (3)「のらくろ」退役後の「大陸」での活躍を描くシリーズの執筆

 これらが1939年から41年の期間中、並行して行われているのである。

連載中止の理由は、中国人差別表現と紙不足?

 無論、「のらくろ」の戦時協力に関しては、同情的な見方もある。日中戦争を境に「ごっこ」であった戦争が中国大陸でのリアルな戦争へと世界観の枠組みが変更され、「爆弾三勇士」をモチーフにした挿話が描かれるなど戦時下の流行に敏感である。しかし、「少年倶楽部」1941年10月号をもって、情報局からの指導で連載中止(9月号は休載)となったことで、まんが史では強く批難はされていない。

 この執筆「中止」の直接的な理由は田河の義兄で同居したこともあった小林秀雄が回想するように、中国人を豚の姿で描いたことにある(小林秀雄「漫画」『考えるヒント』文藝春秋、1974年)。これは「示達」の「皇軍ノ勇猛果敢ナルコトヲ強調スルノ余リ支那兵ヲ非常識ニ戯画化」「支那人ヲ侮辱スル」表現を禁じた「事変記事ノ扱ヒ方」の項目に抵触したからだと思われる。中国への差別的表現を禁じる「示達」が思いがけない形でまんが家への圧力として機能したのである。

 一方では、出版用紙の統制として、前号実績で次号の部数の決まる仕組みがあったため、紙の配給を減らすには雑誌を部数減させる人気作品の打ち切りが求められたと、当人は回想する(田河・高見沢、前掲書)。直接的な理由はどうあれ、「のらくろ」休載自体が一種の「見せしめ」であり、まんが家や出版界への同調圧力づくりであったと考えるのが妥当だろう。しかし、国策に協力した「義勇軍の義坊」シリーズも「のらくろ」と同じタイミングで連載が中止となっていて、もう少し田河執筆停止問題は検証が必要である。

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