「輪ゴムでいうと新品みたいな感じなんです。指に掛けて引っ張ってピュッてすると遠くまで飛んでいくじゃないですか。まさにそんな感じなんですよ」
横浜DeNAベイスターズのリリーフ左腕である田中健二朗は、独特な例えを口にして、楽しそうにつづける。
「活きがいいって言うんですかね、手術前はぐらついてコントロールしづらかったんですけど、今はハマるっていうかダイレクトに感覚として伝わってくるんですよ」
手に入れた新しい靭帯――。
田中は2019年8月に左肘の側副靱帯再建術、いわゆるトミー・ジョン(TJ)手術を受けた。以降「はっきり言って心が折れていた時期もありましたね……」と、先行きの見えない過酷なリハビリ期間を経て、昨年9月12日の阪神戦(横浜スタジアム)、1092日ぶりに一軍のマウンドに戻ってきた。
リリーフカーに乗って久々にグラウンドに現れた左腕は、ファンから万雷の拍手で迎えられた。その懐かしくも眩しい光景を見上げ、田中は「涙が出そうになりました」と、しみじみと語っていたのが印象的だった。
「プロでやれて5年ぐらいだろうなって正直思っていたんです」
新たなスタートとなる今季はオープン戦から好投を見せ、2018年以来4年ぶりとなる開幕ブルペン入りを果たした。
「投げられることが、すごく嬉しいんですよ」
そう声を弾ませる田中だが、一方で復帰後の道のりは未知の領域だとも語る。
「調整の時期、やり過ぎてしまって他の部位に疲労が出てしまったり、そこは難しいですけど、いい塩梅を見つけていかなければいけない。本当、自分の物差しでしかないので」
警戒をしつつそう言うが、やる気に満ちている田中を見ていると、何だかこっちも嬉しくなってくる。幾度もピンチを跳ね返してきた選手生活、生え抜きの投手としてはチームで最も長いキャリアの持ち主である。
入団して今季で15年目――。
「本当、長いですよね。僕の場合はケガからスタートして3年ぐらい苦しんだんですよ。だからプロでやれて5年ぐらいだろうなって正直思っていたんです。それが今や3倍の時間ですからね」
ターニングポイントになったのは7年目の2014年、それまで主に先発で投げていたが、リリーフとして起用されると真価を発揮した。好投を見せたことで同年オフに当時の中畑清監督から「先発に戻らないか」と打診されたが、田中はこれを断っている。
「生意気ですよね(苦笑)。でも僕はリリーフにやりがいを見つけられていたし、あのときの判断が今に繋がっていると思うんです」
その後、田中は貴重な中継ぎ左腕として存在感を示し、2016年から2年連続して60試合以上に登板。DeNAとしては初となるクライマックスシリーズや日本シリーズ進出に大貢献した。
田中から見て取れる、変わることを恐れない、自分を貫く力強さ。
「まあ変わるというか、そもそも僕は入団したとき『自分がないな』という状態だったんですよ。本当、真っ白い状態というか」
常葉学園菊川高でセンバツ優勝投手となり、それが評価され2007年の高校生ドラフトで1巡目指名された。入団会見で高校時代のニックネームにちなんで「『ハマの田舎』と呼んでください」とアピールしたのは今でも語り草である。それほど純真無垢な青年だった。
「それからちょっとずつ色づき始め、成長することによって、ようやくあのときリリーフで勝負するんだって思えたんですよね」
高校を卒業した10代の終わり、右も左もわからないプロの世界へ飛び込み、3歩進んでは2歩下がるような日々を経て、20代半ばにしてようやく自分自身を確立することができた。だからこそ先行きが不透明でつらかったTJ手術後を耐え抜くことができたのだろう。