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休日も、仕事の対応に追われながら…あだ名は「チアリーマン」

――社会人になってからはチアとお仕事を両立していたわけですよね。

山口 あだ名は「チアリーマン」(笑)。休日にも仕事の連絡が入る環境だったので、チアのイベントの待ち時間に、ユニフォーム姿のまま携帯やパソコンを開いて対応する姿を見た友人が名付けてくれました。

 インテリア会社の営業をやっていたんですが、すごく忙しい部署で、毎日9時から終電まで仕事。チアの練習は仕事を抜けて合間に行っていました。戻ったときには、汗でメイクも髪もグチャグチャでしたけど(笑)。

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――会社は「チアリーマン」の山口さんを応援してくれていた?

山口 試合を見に来てくれたり、チア活動をとても応援してくれていました。

 NFLのチアにはじめて挑戦したとき、オーディションで1ヶ月はアメリカに行くことになってしまうので、会社を辞めようとしたんです。そうしたら上司が「NFLのチアになれる確率って何%なの?」と。「1%くらいですかね」と答えたら、「じゃあ辞めないで休職したら?」と提案してくれたんです。

 おかげさまで35歳から3年間、年に1度オーディションのために休職をする形で、仕事を続けさせてもらいました。

取材はzoomで行われた ©文藝春秋

NFLの規模感に衝撃を受けた

――35歳からNFLのチアを目指したのはなぜだったのでしょう。

山口 当時、シーガルズの後輩といった近しい関係の子たちが相次いでNFLのチアリーダーになっていたんです。それで興味が湧いて本場に見に行ったら、日本とのあまりの違いに衝撃を受けました。 

――NFLのどんなところに衝撃を受けましたか。

山口 規模感ですね。見に行ったスタジアムは東京ドームの2倍も観客が入る会場で、声援で会場が揺れました。ちょうど開幕戦だったこともあり、オープニングセレモニーでわざわざ戦闘機を飛ばしたり、100人いなきゃ持てないほどの大きな国旗がフィールドに広げられたりして、ひとつひとつに衝撃を受けました。

 すぐに「私もここで踊りたい」となったので挑戦を始めたわけですが、目指し始めてから、「大変なことをはじめてしまった」と気がつきました(笑)。