「厳しさが足りないんだよ、だから選手が甘えちゃったんだ」

 去年のことだ。父がひとりごとのように栗山監督(当時)評を言った。

 えっ。最初、自分の事を言われたかと思った。ドキッとした。そうか、栗山さんか。我慢して、選手を信じて、見守って使い続けていくのが栗山政権だった。それが上手く行ったこともあれば、たしかに甘えが生まれてしまった部分もあるのかもしれないと納得もする。

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 一方、少し可笑しくもあった。父は86歳。仕事してた頃は伐木夫だった。穏やかで慎ましやかな人柄だ。庭で花を育てるのが好きで、料理が好き。仕事柄、家を空けることが多かったが、居るときは小遣いをくれたり、おもちゃを買ってくれたりの優しくてちょっと甘い父親。私には声を荒げることもほとんどなく、ああしろこうしろとは言わずに見守ってくれた。そんな父から厳しさなんて言葉を聞いたものだから。

 どちらかといえば厳しいのは母だった。その母が1年半ほど前に亡くなり、父は実家で一人暮らしをしている。気落ちしてる様子が心配で、食料品などの買い物の送迎などのため月に2度ほどは郷里の静内へ帰るようになった。もともとお互い寡黙だけど、会う機会に比例して必然的に会話も少しは増えている。最近調子はどう。お前こそ仕事はどうなんだ。まあぼちぼち。そうか、身体だけは大事にな。相変わらず優しい父だ。

 一時は体調を崩し、新庄の野球は見られないかもしれないなぁと弱音を吐いていた時期もあったが、幸いにして最近は体調も良くなったようで安心している。

「俺は新庄に期待しているんだよ」

「ハムはまた負けたな。俺は新庄に期待しているんだよ」と父は言う。

 そりゃ新庄も1年目だから上手く行かないのもあるだろうけど、そもそも監督の思ってるように動ける選手たちじゃないだろ、まだコドモ、よちよち歩きだよ。育てるには厳しさも大事なんだ、新庄はやれるんじゃないか。父はそう言っている。

 コドモ。そういえばまだ自分が小さかった頃、夜眠れずにグズっているとよく深夜のドライブに連れて行ってくれたっけ。30分も走ると落ち着いてきて眠ったそうだが、時には1時間2時間となったこともあったらしい。子どものとりとめのない話にもうんうんと聞いてくれ、余計なことは言わず黙って運転する父の車の助手席はさしずめ揺りかご、私にとって安定剤のようなものだった。そんな父が厳しさかぁ。

 派手で目立ちたがりなビッグボスは、まるで父と正反対だなと思う。「俺はあがり症なんだ、すまないが頼む」。母の葬儀のときも、挨拶は私が代わって行ったくらいだ。まるで心臓を患っているかのように、胸を抑えて顔をしかめそう懇願する父は、我が父ながら情けなくもあり可愛くもある。そんな父が厳しさに期待すると言う。ふーん。

 ビッグボスは「こうやってみたら」と積極的に指導する印象だ。ワンボックスカーのルーフに登ってバットを持って「送球は低く」と指導していた様は、一昔前のスポ根漫画風の父と息子の特訓のようにも見えてくるのだが、ああいうことはうちの父は金輪際しないはずだ。陽だまりで穏やかな顔をしながらこちらを見守るようなタイプ。

「レギュラーなんていない、横一線」「みんな一軍で使う」と公言し、実際にシーズンが始まっても、いろんな選手を日替わりのように起用している。スタメンや役割をある程度固定したほうが良いのは明白なのだろうけど、あえてしない。近藤ですらスタメンを外れる日があり、当然ながら賛否を呼んでいる。その趣旨がなんなのかはわからないが、自分の思ったようにスタメンを組むビッグボス。

 もしかすると、父は憧れているのかもしれないな。外野の意見を物ともせず、思ったように自分を表現し、主張していく姿に。新庄ならそうしてくれるんじゃないかと。穏やかで優しく、あがり症で、自己主張しない、そんな婿養子の父だからこそ。