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「旅館が…旅館が…潰れました。残念ですが…」父母と息子2人が一気に…“災害弔慰金の原点”となった壮絶な被害体験

『最期の声』より #2

2022/04/15

鯉と土砂崩れ

 真っ暗な空から雨が落ち続ける。

 深夜、荒木が庭園の様子を見ると、池の水があふれ、赤や黄色の鯉が泳ぎ出ていた。

「大きな鯉が逃げちゃって、これは大変だ、と庭に出てね。こうやって大きな網を持って一生懸命、鯉を追いかけたの。でも大きな鯉でしょう。私の手に負えなくて」

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 彼女は、真顔のまま柄の付いた網で魚をすくうような仕草をした。

「そうするうちに、どんどん、どんどん、雨が降ってね」

 説明がもどかしくなったのか。彼女は「ちょっといらっしゃい。こっちの方がわかるから」と、私を渡り廊下に案内した。窓の前に立った彼女は「ほら」と指さした。

「池のもう少しこっち側に、離れがあったの」

 眼下の日本庭園には、緋鯉が泳ぐ大きな池があり、右側に白い壁が見える。白壁の建物の手前に佐藤夫妻が孫と泊まった2階建ての離れがあった。

 53年前の8月29日午前4時ごろ、必死で鯉を追う荒木の耳を轟音がつんざき、庭園が鳴動した。

 ふと見ると、さっきまですぐそこに建っていた離れの屋根が、目の前にあった。土砂が1階と2階部分を突き抜けて、屋根が落ちたのだ。

 彼女は平静に語るが、自身も土砂崩れに巻き込まれていても不思議ではなかった。紙一重で助かったのである。彼女は、当時の心境をこう振り返る。

「危ないとか、そんなことを言っていられないでしょう。なんとか助け出さないと。それだけを考えていた覚えがありますね」

 二次災害の危険を考える余裕はなかった。

 屋根の周囲を「おーい!」「おーい!」と大声をあげながら歩き回った。なんとかしなきゃ……。穴や隙間があれば、潜り込んでいって、助け出せるのではないか。彼女は、焦る気持ちを抑えられずに、屋根の裏手に走って回ったり、土砂や瓦礫を覗き込んだりしてみた。

 何度呼びかけても、まったく反応はない。雨のなか、ひとり庭園に立つ荒木には、周囲の音が一切消えたように感じられた。

「何時ごろだったのかしら。暗かったのは覚えているんだけど、本当はきちんと覚えておかなければならないことなのにねえ」

『水禍』に笹神村にもたらされた被害と、村が行った災害対策が記録されている。笹神村が水害対策本部を設置したのが、8月28日午後10時のことである。

 深夜、新潟、山形両県のあちこちで河川が決壊し、土砂崩れが発生した。夜間に被害が広がった結果、孤立し、連絡がつかない集落が続出する。被害状況を把握するまで時間を要し、死者、行方不明者が増加する一因になる。

 そのころ、芳男の次男、佐藤隆は妻燿子とともに、亀田町の自宅で就寝していた。

 翌29日午前4時過ぎ、電話のベルがけたたましく鳴った。受話器を取った隆に、長生館の従業員はうめくように語った。

「山崩れで、旅館が……旅館が……潰れました。残念ですが……」

「全員ですか……」

 隆は、突然の悲報に、電話の前に座り込んでしばらく動けなかった。