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「旅館が…旅館が…潰れました。残念ですが…」父母と息子2人が一気に…“災害弔慰金の原点”となった壮絶な被害体験

『最期の声』より #2

2022/04/15
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いざさらば 政治の理想なる日まで

 笹神村の水害対策本部に、長生館についての第一報が入ったのは、午前5時ごろ。離れが山崩れで倒壊し、宿泊者5名が下敷きになったという。その5分後には、村杉温泉郷の消防団関係者から新たな情報がもたらされた。

「長生館の宿泊者は亀田町佐藤芳男さん夫妻とお孫さん3名である。生存者がある模様。なかから子どもの声が聞こえる。至急、救出の手配を頼む」

 対策本部は警察と協議し、救出方法や医師の派遣を検討するが、村杉温泉郷への道路は激流と化している。自動車を諦めて、ヘリコプターの出動を決めた。けれど、悪天候でヘリコプターが飛行できない。医師は土木工事現場などで使われる重機、モーターグレーダーで村杉温泉郷に向かった。

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 同じころ、佐藤家の電話が再び鳴った。隆が受話器を取ると、長生館の関係者は早口でまくし立てた。

「土砂のなかに誰か、生きているようです。動くものがあるので、救助隊が必死で救出をはかっています!」

 隆夫妻は自動車に飛び乗り、村杉温泉郷を目指した。太い幹線道路はなんとか走れたが、県道や農道は泥水の海となっている。それなら徒歩で、と歩き出す。が、進めない。両親と子どもたちの安否を早く確認したい……。焦燥感に身もだえながら、隆はただハンドルを握りしめるしかなかった。

 政治を志していた隆に対して、常々芳男はこう語った。

「人は誰でも日常生活に不平不満がある。それが人為的因果関係によるものであれば、話し合いで解決すべきだ。みんなの不平不満を理解し、解消する。これが政治の基本だ」

 数日前、隆は父と意見を交わした。隆が選挙区民に向けて、つくった短歌をめぐって、親子の考えが合わなかったのである。

〈いざゆかん 政治の理想なる日まで わが身捧げん はらからのため〉

「はらから」とは、国民や同胞という意味である。隆は「いざゆかん」という発句にこれから政界を目指す思いを込めた。しかし父は「いざゆかん」を「いざさらば」と直した。隆は、納得がいかずに父に真意を問いただし、議論になったのである。

 いざさらば……。あれが虫の知らせだったのだろうか。隆は、雨粒がぶつかるフロントガラスを見つめながら、数日前の父との会話を思い出したのではないか。

〈いざさらば 政治の理想なる日まで わが身捧げん はらからのため〉

 結果的に、それが、佐藤芳男の遺詠となる。

 明け方、長生館に数人の自衛隊員が救助にきた。荒木はそう記憶するが、『水禍』を見ると早朝に長生館に到着したのはおそらく地元の消防団員か、警察官だと思われる。

 男たちが、土砂を慎重に掘り起こし、瓦礫を撤去する。