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「旅館が…旅館が…潰れました。残念ですが…」父母と息子2人が一気に…“災害弔慰金の原点”となった壮絶な被害体験

『最期の声』より #2

2022/04/15

 午前8時過ぎには、生き埋めになった5人が次々と発見された。みな浴衣を着たままだった。そんななか、9歳の次男、徹は足を骨折し、重傷ではあったが、意識がはっきりしていた。しかし徹以外の4人は救出された時点で、死亡が確認された。

 遺体は、もうひとつの離れの大広間に並べた布団に寝かされた。11歳の長男元泰と5歳の三男薫の小さな遺体が、救出にきた人たちや、居合わせた関係者の涙を誘った。

「記憶はところどころ薄れているんだけど、変なことだけは鮮明に覚えているんですよ」と荒木は語る。

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 若い女性が土砂や瓦礫の撤去を手伝っていた。芳男が懇意にしていた新潟市内の飲食店を営む女性である。親しい常連客の安否が気になり、長生館に駆け付けたのだ。いつも溌剌として、人目を引く華やかな着物やドレスを身にまとう彼女がモンペ姿で、土砂や瓦礫を黙々と片付けていた。

 災害という非常時には、ときにアンバランスな情景が出現する。日常とひどくかけ離れた風景だからこそ、荒木の記憶に深く刻み込まれたのかもしれない。

自然災害による不幸は、誰の責任なのか

〈変りはてていた。何もかもが、土砂に汚れ、水にぬれ、変りはてていた〉

 父母と2人の息子の遺族となった佐藤隆は、『個人救済制度』に被災地となった長生館の様子をそう綴る。

 早朝、家を飛び出した隆夫妻だったが、途中、新潟県警のパトカーに先導されて新潟県庁まで行き、そこで東北電力のヘリコプターに乗り換え、ようやく長生館にたどり着いた。

 正午過ぎ。父と母は、2人の息子の遺体に対面する。涙があふれ、言葉が出なかった。救出された次男の徹は、長時間、冷たい水に浸かった影響で予断を許さなかったが、人工呼吸器で酸素吸入を受けながら命をつないでいた。

 それだけが、たったひとつの救いだった、と隆は率直な思いを記す。

 生存者ゼロと生存者一。なんと大きな違いであろうか。(略)もし、二男も残らずに全滅していたなら、妻は気を狂わせたかもしれない。私とて同じ思いに、どのようになっていたか想像することさえ怖ろしい。

 彼は次のように問いかける。

 自然災害による不幸は、誰の責任なのか——。

 災害により、父母と愛息を喪った不条理な体験から生まれた問いが、政治家、佐藤隆の原点となった。

最期の声 ドキュメント災害関連死

山川 徹

KADOKAWA

2022年2月16日 発売

「旅館が…旅館が…潰れました。残念ですが…」父母と息子2人が一気に…“災害弔慰金の原点”となった壮絶な被害体験

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