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劣等感から救った落合監督の一言

 次打者を告げるアナウンスに、ナゴヤドームが沸きたった。

 荒木を二塁に置いてバッターボックスに立ったのは、井端弘和だった。

 内野と外野の間にボールを落とす。その技術において、チームで右に出る者はいない。塁上に荒木、打席に井端、中日が1点を取る上でこれ以上ない役者が揃った。

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 荒木は二塁ベース上から、ふたつ年上の井端を見つめた。守っては二遊間を組み、打っては一、二番に並ぶ。世間はそんな自分たちを「アライバ・コンビ」と呼んだ。まるで同質であるかのように扱った。

 だが荒木はずっと、井端にある種の劣等感を抱いていた。

 まだ荒木がドラフト1位のブランド・シールに翻弄され、なぜ自分には打の華がないのかと葛藤していたプロ3年目、亜細亜大学からドラフト5位で入団してきたのが井端だった。その指名順位からか、井端は入団当初からさほど注目されていなかった。

井端弘和氏 ©文藝春秋

 ただ荒木は同じ内野手として、自分との差を感じ取っていた。井端は明らかに自分にはないものを持っていた。まるで爪の先まで神経が通っているかのように、イメージしたことを精密に身体で表現してしまう。後天的には決して手にできない才があった。

 あの人と同じことはできない……。

 井端が自分より先に一軍のスポットライトを浴びるのは必然のことに思えた。それでも周囲は、ドラフト1位と5位という順位付けされたフィルターを通して二人を見た。

 5位の井端ができるなら、1位の荒木にできないはずはないだろう──。

 その視線が荒木を惑わせ、焦らせ、自己不信に拍車がかかった。

 振り返ってみれば、そうした井端へのコンプレックスから解放されたのも落合のノックを受けてからだった。

落合博満氏(左)と荒木雅博氏 ©文藝春秋

「お前くらい足が動く奴は、この世界にそうはいねえよ」

 落合からそう言われたあの日から少しずつ、ありのままの自分を信じられるようになってきたのかもしれない。